ご報告
<蕪村顕彰俳句大学句会講座 終りました> NEW!
NPO法人近畿フォーラム21
蕪村顕彰俳句大学
蕪村顕彰俳句大学は、平成28年9月まで、13期全国俳句大会表彰式、中心の蕪村顕彰俳句大学講座を続けて来ましたが、歴史的大きな決め手となる「蕪村生誕300年記念の年」は、残念ながら今年末で「終焉」を迎えますので、これに合せて当NPO近畿フォーラム21の最も事業中核でありました、有名講師に依る「俳句講座」を、「13期」で終りと致しました。

と申しますのは、蕪村顕彰俳句大学講座の目的は、講座開講以来、平成28年に迎えた「蕪村生誕300年記念の年」の迎合時期に合わせて、江戸時代の三聖俳人の一人である大阪毛馬生誕の与謝蕪村の俳句を顕彰すると共に、大阪での俳句文化の発展と蕪村を後世に継承していくことにして、講座を続けて来たものです。その成果が、地元、全国、諸外国から評価されるまでにやり遂げられたものと自覚するに達したからです。

しかも、文化庁後援を頂き、兜カ學の森と共同した蕪村顕彰全国俳句大会が、第13期で終了したこととも融合して、前記の講座完遂目的が達成されたと判断したからでして、喜想を以て、14期講座からの蕪村顕彰俳句大学句会講座を終焉しました。

「蕪村生誕300年記念の年」を期限として「終わる」ことには、俳句愛好家や諸外国から「自制の要請」が多々きましたが、講座達成目的と実績効果のご説明をいたしまして、ご無理にも納得して頂きました。

13期までに亘る8年の蕪村顕彰俳句大学講座、全国俳句大会にご支援を頂いた、俳句会主宰の著名な講師諸先生、全国俳句応募のご選考にご助力頂いた8名の有名俳人の先生、13期までの多数の講座受講生、それに大阪府・大阪市・独立行政法人国際交流基金、公益財団法人関西・大阪21世紀協会等の団体機構に対しまして、改めて伏してお礼申し上げます。

末筆にながら、蕪村顕彰俳句大学講座・蕪村顕彰全国俳句大会の表彰式で当初から13期まで「優秀句」を受賞された方々の「記念プレート碑」を、毛馬の蕪村公園東北側に、植樹を背に13器全碑建設して後世に伝承して居ります。どうか、蕪村公園にお出でになり、ご拝見されますようお願い致します。

 
<蕪村生誕に年の6月講座 終わる>
蕪村顕彰俳句大学 事務局
蕪村顕彰俳句大学6月講座が、10日(金)に大橋晄講師と、22日(水)に山尾玉藻講師によって大阪市立生涯学習センターで開講しました。

両句会は、いつものように宿題出句を受講生同士で選考した後、両講師による秀作の選考と寸評が行われました。

今回句会の内、下記のように山尾講師から「6月講座の秀作と寸評」をいただきました。有難う御座いました。


◆秀作寸評  山尾玉藻

泣いてまた稚の太りぬ麦の秋     蘭定かず子

一面の麦畑が黄色く熟れる頃は、むっとするよな熟れ麦の香に少し気鬱な思いとなる。折しもどこかで赤子がよく泣いている。泣く子は育つと言われるが、あの赤ん坊も一層まるまると太っていくことだろうと思う作者。赤子の鳴き声がいつまでも続く薄暑の日の寸感である。

麦秋を逸れ野に出づる雲一片     増田忠勝

先ほども述べたとおり、一面の麦秋を眺めていると何か鬱とした気分になったり、どこか不安感を覚えるものである。真つ黄に熟れた麦畑の上の空に浮かんでいた一朶の雲がゆっくりと流れ、麦畑の横の野原の空へと移っていった。その景を眺めていた作者は、まるで雲までが気鬱さや不安感から逃れるように、広々とした野原へと流れて行ったように感じられたのであろう。麦秋の情趣を雲に巧みに語らせている。

芍薬のけふ開き切りにべもなし     大山文子

作者は日毎芍薬が開いてゆくのを楽しんでいたのだが、とうとう今日それが開き切ったのだ。しかしその咲きぶりは何時もとは違ってどことなくよそよそしい。ぽってりと豪華な芍薬らしい趣を独自の感覚で捉え、「にべもなし」と強く断定して納得させる力がある。真っ白の芍薬に違いない。
 
<蕪村生誕300年記念  全国投句募集> NEW!
蕪村顕彰俳句大学 事務局
蕪村顕彰俳句大学では、兜カ學の森と共同して、現在第13期蕪村顕彰全国俳句大会を開催し、蕪村が愛した大阪毛馬に俳句文化を継承するため、7月8日(金)必着で、全国から俳句を募集致します。応募をお願いします。

今期から文化庁の後援も頂いて居ります。

投句先は、〒169-0075 東京都新宿区高田馬場2−1−2−8F
      兜カ學の森 「蕪村顕彰全国俳句大会」係です。
       (電話:03−5292−9188)
様式:
・応募 2句1組(何組でも可)
・応募料 1組につき1000円(書留、郵便小為替、切手不要)
・応募方法 7月発刊「俳句界222ページ。文學の森HPからダウンロード。
・選者 特別選者4人、選者3人が選考し、大阪府知事賞、大阪市長賞、蕪村顕彰俳句大学学長賞、文學の森等の授与
・表彰作品は、近郊の蕪村公園のプレート碑として設置。

是非、蕪村生誕300年記念として「全国投句募集」に賛同して頂き、積極的に応募をお待ち致します。

 
<蕪村生誕に年の5月講座 終わる>
蕪村顕彰俳句大学 事務局
蕪村顕彰俳句大学5月講座が、10日(金)に大橋晄講師と、25日(水)に山尾玉藻講師によって大阪市立生涯学習センターで開講しました。

両句会は、いつものように宿題出句を受講生同士で選考した後、両講師による秀作の選考と寸評が行われました。

更に、今回の句会句座は、「蕪村生誕に年の5月講座 開講」だったために、「蕪村俳句の特長」や「蕪村俳句と絵画」等について、両講師が蕪村講演をされ、無事に両講座が終わりました。

今回句会の内、下記のように山尾講師から「5月講座の秀作と寸評」をいただきました。有難う御座いました。


◆秀作寸評  山尾玉藻

春昼の箸をよごせる貝の腸   蘭定かず子

「貝の腸」とあるので蜆や浅利などの小さな貝ではなく、栄螺など大きな貝の腸であろう。駘蕩とした春昼の趣とはっきりとしない貝の腸の在り様がどことなく似通っていて、ゆったりとした空気感を濃くしている。

箸初めの蛤つゆの琥珀いろ   山本耀子

「箸初め」とは生後百日目の赤子が初めてご飯を食べる儀式であり、お膳に見事な蛤の汁も添えられているのだろう。匙で掬われた汁が赤子の口もとにゆっくりと運ばれた時、その汁が琥珀いろに輝いたという、この上なくお目出度い景である。
 
坂上れば電話ボックスある日永   小林成子

作者にとって初めての坂道、その坂を登り切ると意外にも電話ボックスが立っていたのだ。携帯電話の普及で公衆電話も見かけなくなった現在、こんなところに、と作者は少し驚いたのだろう。ぽつんと突っ立つ電話ボックスに昼がいよいよ闌けていく。

 
<「新聞俳句・・・入選のコツ」って>
NPO法人近畿フォーラム21 理事長
             蕪村顕彰俳句大学  代表 池尻 一寛
筆者主宰の「蕪村ブログ」の「俳談」に連載して頂いている杉浦正章氏が、近月に「やぶにらみの正論」(一般社団法人 安保政策研究会・浅野勝人理事長)と共著して、「新聞俳句・入選のコツ」の冊子を 「時評社」から発刊されました。

本誌掲載の「俳談」の掲げられた杉浦正章氏の「新聞俳句入選句」に、日頃から感動しておりましたが、実際「その新聞俳句入選のコツ」は如何なるものか、俳句愛好者とって極めて珍しい「新聞俳句」の舞台と、「その入選のコツ」の執筆を拝読し、益々驚きました。

一般の人、俳句愛好家、学生等のほとんどは、「新聞俳句・入選のコツ」を知っていることは在りません。是非拝読して「新聞俳句の投句」と云う新しい世界に関心を寄せて下さい。


杉浦正章が記載された著作の趣旨を、下記に添付しましょう。著者には失礼ですが。文量を察して「中略」も致します。それでもきっと過大な興味を抱いて拝読したくなるでしょうね。

杉浦正章氏の寄稿

◆「新聞俳句・入選のコツ」

<私は、政治評論の「永田町幹竹割り」をブログ掲載し、付録の意味で「俳談」を添付しておりました。その読者が全国大会で特選を受賞されるなどとは、夢に思っていませんでした。

しかもその俳句たるやまことにレベルが高い。これは私の「俳談」が導いたのではなく、もともと才能があった方が触発されたのだと思います。(省略)

出版の運びとなった時、「俳談」は主として新聞投句の入選句の「傾向と対策」を入選句の実例を挙げて記述することにしました。句歴30年、そして二十数年にわたる投句の経験、ノウハウの総てを投入しています。(省略)

俳人が書いた新聞俳壇対策の教科書はありますが、投句者による実践の裏付けられた「新聞俳壇入門書」は、珍しいと思います。(中略)松尾芭蕉、小林一茶、与謝蕪村など過去の天才俳人の句作にも言及しています。>

ここから「句作テーマ」が書かれており、想い付きに添付いたします。

<◆「まず傾向と対策から」―

新聞俳壇は全国誌6紙に全部あります。掲載日は朝日、読売、毎日が毎週月曜日朝刊、日経、東京が日曜日朝刊、産經が水曜日朝刊です。

私は約20年間20年間にわたり6紙に投句を続け、入選句は1,000句余りとなりました。(中略)毎日10句を作成し、週に70句作成。これを絞って毎週40句にして投句しています。入選はせいぜい2, 3句です。

新聞投句は初心者大歓迎です。朝日の選者によると、ベテランの句を選ぶより新人の句を選びがちになるそうです。今をときめく有名な女流俳人が別名で新聞投句をしているのを知っていますが、その理由は「武者修行」だといいます。とにかく実名でも別名でもいい、どんどん新聞投句して実力をつけるべきでしょう。

(中略)

◆「昭和ノスタルジア」−

時代を詠むと新聞俳壇によく採用されます。時代をどう詠むかといえば簡単です。

降る雪や明治は遠くなりにけり

と詠んだように元号を一句に挿入すればよい。元号は、短歌で言う歌枕のような作用を及ぼします。

現在において明治や大正に詩的感慨を抱くことのできる人は少ないかも知れませんが、早くも平成は28年、昭和も遠くなりましたが、日本人の心の中に昭和に対するノスタルジアが生まれて、これが発酵しつつあります。

◆「初心者の時事詠は邪道」−

俳句初心者はどうもニュースをテーマとしたがりますが、これほど陳腐なものは無いと心得るべきでしょう。俳句は古来永遠なる感情を詠むものであり、一過性の感情を詠まないのです。そのときのニュースを詠んでも、ほとんど成功しないのはなぜか。それは地名を読み込むのと同じでニュースの印象が強すぎて詩情を壊すからです。>

筆者が傾注している「与謝蕪村」の記述があって、一挙に感動しました。何故なら「蕪村俳句の視点」を知りたかったからです。著作文を挙げます。

<◆「俳句の絵画性」

雪が降り積もった京都の夜景を描いた与謝蕪村の名画に「夜色桜台図」がある。2009年に国宝に指定されている。蕪村は俳句を作っても絵を描かせても超一流であった。その画才の影響もあってか、作る俳句も実に絵画的である。人口に膾炙した句に

菜の花や月は東に日は西に

があるが、いちいち説明はいらない、大きな景色をすべて短詩の中に込めている。

しかし絵画性を一層感じる句は

月天心貧しき町を通りけり

であろう。貧しい町に大きな月が出ている、大きな月と詠まなくても、貧しき町ガそれを語らしめる。なぜなら貧しい町は灯影もほそく、町全体が暗い。その対比として月が大きいのである。

これが例えば、(新宿の歌舞伎町なる月天心)で会ったらどうか。いくら満月でも月はネオンに邪魔されて小さく見えるし。風情も何もあったものではあるまい。この一句は蕪村ならではの才能が発揮されているのだ。

一般俳人も特には絵画のような句を作るとよい。

冬麗や隣の駅の電車見ゆ  毎日俳壇一席 杉の子:(杉浦正章)

冬の水彩画のような空気感を詠んだ。

金魚屋を漁師ら囲み秋祭り
  読売俳壇一席 杉の子:(杉浦正章)

漁師町で漁師たちが金魚屋を冷かしている光景だ。油彩がのテーマだ。>以上

杉浦正章氏の著作は、150ページから310ページ迄、長編に及びます。
最後に「投句は継続することが何より大切でしょう。そのうちに自らの作句を上達させるとなっていることに気付くのです。頑張って下さい」と述べて居られます。

ごく一部しかご紹介できませんが、「やぶにらみの正論」と共著とともに拝読してください。「新聞俳句」の新分野がわかり、「入選にコツ」を読んで
俳句の世界を楽しんでくださいね。
                        
杉浦正章氏[プロフィール]

一般財団法人 安保政策研究会理事
・1940年愛知県西尾市生まれ。
・慶応大学独文科卒業。
・時事通信社政治部記者、ニューヨーク特派員、ワシントン特派員、内閣記者クラブキャップ、 政治部長、編集局次長、常務取締役編集局長。現在政治評論家として、毎日ネットにその日の政治評論を書いている。

以上

 
<蕪村生誕300年記念 シンポジューム開催>
毛馬 一三

5月1日午後1時から、大阪市都島区役所横の「都島区民センター」で、「蕪村生誕300年記念シンポジューム」を開催致しました。今年 2016年は、大阪の俳人・与謝蕪村の生誕300年の「年」です。

蕪村の生誕300年行事の第1陣は、1月23日の大阪毛馬町の「淀川神社境内」に「高さ1m60pの蕪村銅像」を建立しました。今日はこれに続く第2陣として、「シンポジューム」を開催したもので、まさに、「蕪村生誕300年記念行事」本格的諸行事となりました。

蕪村生誕300年記念行事をお祝して頂くこのシンポジュームに、「国の文化庁」から「後援」を頂きました。

こうしたことから「俳句愛好家」、「俳句の興味のある方」、「大阪毛馬生誕の与謝蕪村の生き様を知りたい方」、「一般の方・学生・外国の方・大阪市役所も幹部」など250余名が参加されました。

このシンポジュームは、NPO法人近畿フォーラム21主催の主要内部組織の蕪村顕彰俳句大学と蕪村生誕300年記念事業実行委員会が共同して開催したものです。

シンポジュームはまず、

◆開会挨拶を川原俊明蕪村顕彰俳句大学学長(弁護士)が述べた後、

◆第T部の「講 演」に入りました。

◆まず大阪市立大学名誉教授・博士(文学)の村田正博氏が・「いにしえの毛馬を求めて」を30分に亘って語られた後、・俳句結社「火星」主宰の山尾玉藻氏が、30分に亘ってお題「俳句に感謝」を語られました。

続いて、

◆第U部の「4人著名俳句研究者の対談」に進みました。「対談」は、村田 正博教授が先行して、「蕪村へ、そして蕪村から」のお題を巡って、・大橋 晄(雨月主宰)、・山尾 玉藻氏、・柴田 多鶴子氏(鳰の子主宰) が「対談」を展開しました。特に4人個人が自分で選んだ好みの蕪村俳句について、作風の背景見方や 新しい解釈など個人の意見を語り合う「対談」は見事でした。

◆第V部は、特にNPO法人と共同して、蕪村俳句宣伝やまちづくり、俳句作品応募活動を進めている3人を演台に上がって貰い、参加者全員に紹介しました。その方々は、・蕪村通り商店街会長 金子清治氏、・毛馬胡瓜の会代表 清原風早子氏、そしてウクライナから俳句を友人と共に応募されているウクライナ国立大学教授で、現在京都大学研究生で来日されているシェフツオバ ガリーナ教授の3人で、一言づつ挨拶をして貰いました。淀川神社宮司の横路良宮司にも演台に上がって貰う予定でしたが、祭事と重なったため残念ながら欠席され紹介出来ませんでした。

◆この後休 憩 。休憩が済んだあと、

◆第W部からは特別講演を始めました。特別講演は、大阪城南女子短期大学の小林孔教授が、「蕪村 語りを描く―奥の細道画巻の発想 ―」を1時間にわたって講演されました。

特に注目されたのは、蕪村が描いた「絵」の横に書き添えられた「長文」そのものが、「絵」とのバランスを生かすために、空間を巧く活用して作られた意味があることが考えられたと、述べられました。参加者に配られたカラーの「絵」を観ながら論説を聴くと、初めての見方に感動させられました。

◆これでシンポジュームを終焉とし、司会をしていた筆者(NPO法人近畿フォーラム21理事長)が、締めくくりを行いました。

◆ まず大阪市、大阪府の幹部をはじめ、遠方の佐賀県、神奈川県、香川県、奈良県からもご参加して頂いた方々に感謝のご挨拶を致しました。その上で、「淀川神社に蕪村銅像を建立」したのは、氏子として江戸時代の慣習に従い「淀川神社を幾度も参詣したことは不動の事実だとして、協賛者のご協力を得て建てたこと。更に文化庁後援期の今年9月11日の「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式」は「蕪村祭」と銘打って、諸行事を実行しますと述べて閉会の辞としました。参加者からこの拙辞に大拍手を頂いて感動しました。

本当に大盛会でした。講師の方々、参加者、共同者、賛同者の方々に心からお礼申し上げます。         

以上


◆講演者・対談者のプロフィール

◎村田 正博 
1951年、京都市生まれ。 
大阪市立大学名誉教授・博士(文学) 蕪村生誕三百年記念事業実行委員長    
専門:萬葉集を中心とする和歌文学、およびその享受をめぐって、仙覺、子規など。   
著作:『萬葉の歌人とその表現』(2003年、清文堂)、「子規初学 ―和歌史再生その前夜―」(文学史研究46、2006年)ほか。  

◎山尾 玉藻 
1944年、大阪市生まれ。俳句結社「火星」主宰、月刊俳誌『火星』発行。俳人協会幹事。   
大阪俳人クラブ常任理事。日本文藝家協会会員。朝日カルチャー講師。蕪村顕彰大学講師。   
著作:句集『唄ひとつ』(1990年、本阿弥書店)、句集『鴨鍋のさめて』(1996年、本阿弥書店)、『自註句集・山尾玉藻集』(2001年、俳人協会)、句集『かはほり』(2006年、(ふらんす堂)、句集『人の香』(2016年、角川書店)ほか。   

◎小林 孔 
1963年、新潟県上越市生まれ。大阪城南女子短期大学教授。   
専門:俳文学、および俳諧史。第8回柿衞賞受賞(1999.6)。   
著作:「『奥の細道』の展開 ― 曾良本墨訂前後 」(季刊 文学 第9巻2号、1998年)、「丹後地方の俳諧一枚摺」(文学 第6巻2号、2005年[隔月刊])ほか。   

◎大橋 晄 
1937年 布施市長瀬(現東大阪市)生まれ 
俳句結社「雨月」主宰、俳誌『雨月』発行東京大学工学部卒業、大学院修士課程修了    
所属:俳人協会評議員、日本伝統俳句協会参事、大阪俳人クラブ常任理事。蕪村顕彰大学講師
著作:句集:『寒の星』    

◎柴田多鶴子 
1947年、三重県伊賀市生まれ 俳句結社「鳰の子」主宰、俳誌『鳰の子』発行    
所属:俳人協会会員。NHK学園俳句講座講師。高槻市俳句連盟顧問。朝日カルチャー講師、サンケイリビングカルチャー倶楽部講師。神戸新聞文化センター講師。
著作:句集『苗札』、『恵方』、『花種』、句文集『小筥携え』

 
<蕪村顕彰俳句大学 第12期表彰が終わりました>
NPO法人近畿フォーラム21主宰
蕪村顕彰俳句大学
 平成27年10月から平成28年3月迄、「蕪村顕彰俳句大学第12期」を開講しました。そして受講生全員の応募作品を選考し 「一般の部」の優秀句に、「大阪府知事賞、大阪市長賞、公益財団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞、当学長賞、」を、3月15日付で授与致しました

。 また、大阪市立、私立の小中高校から応募頂いた「児童生徒の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、当学長賞、淀川神社賞」も、同日付で授与しました。

 さらに、諸外国から応募された俳句作品の「国際俳句蕪村賞の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市長賞、独立行政法人国際交流基金理事長賞」も、同日付で授与致しました。

 このほか、上記3部に「佳作賞」、蕪村顕彰俳句大學の3「句会講座」の講師推薦賞も、同日付で授与しまして居ります。表彰式式典は、都合により「休会」しましたので、受賞賞状は、蕪村顕彰俳句大学事務局からと大阪市教育委員会から、受賞者に送付させて頂きました。

 式典は在りませんでしたが、蕪村生誕地近郊の「蕪村公園」に、表彰された「優秀句記念プレート碑」を3月15日建立しました。受賞児童生徒・ご家族、一般の部の受賞者が拝覧に来られております。また「与謝蕪村生誕300年の年」が始まった1月23日に、蕪村が氏子として幼少の頃、参詣したと推察される蕪村公園南側の「淀川神社」に「蕪村銅像」を建立し除幕式を行いました。「与謝蕪村生誕300年の年」の最初の記念行事でしたから、マスコミにも大きく取り上げられ、沢山の見学者がおいでになっています。

 それでは、「第12期講座受賞のご報告」を下記に掲載致します。高覧をお願い致します。

→蕪村顕彰俳句大学第12期講座受賞報告書(PDF版)
 
<大阪市会で初めて「蕪村」の討議>
NPO法人近畿フォーラム21 事務局
大阪市会本会議で3月3日、「俳聖・与謝蕪村の生誕300年」の文化施策の展開の方針について、市会で初めて公明党の八尾進議員が、吉村洋文市長の考えを下記のように質しました。

◆八尾進議員

文化の振興に向けた取り組みについてお尋ねします。

・まずは、文化の振興に向けた取り組みについてであります。
・現在の文化振興計画は、本年3月で期限が切れ、新計画は秋に策定されるときいています。


・つまり、平成28年度当初予算における文化施策にかかる事業は、骨子となる計画のない中で組み立てられたものです。これでは、文化施策に対する認識が低いと言わざるを得ません。

・そこで今年は、大阪が生んだ「俳聖・与謝蕪村の生誕300年」という節目の年でもあり、このように文化的・歴史的に魅力のある大阪市に見合った文化施策の展開・充実が求められると考えます。市長は<「俳聖・与謝蕪村の生誕300年」>の文化の施策を如何にお考えでしょうか。

◆吉村洋文市長

・大阪では、文楽をはじめ日本を代表する文化が創造され、蕪村など幾多の創造性豊かな人材を輩出されるなど、都市の発展に文化が大きな役割を果たしてきました。

・文化施策における行政の役割は、文化振興と観光資源などとして国内外に発信すると共に、市民・団体の自主性、創意工夫による活発な文化活動が行われるようサポートすることです。

・こうした市民向け施策を盛り込み、大阪らしい文化充実を図って参ります。

以上が市会討議のやり取りです。


◆そこで市会で、「大阪の俳人与謝蕪村の生誕300年記念の年」を、初めて取り上げた八尾進議員に敬意を表します。

与謝蕪村は、江戸時代の三大俳人の一人ですが、今まで「蕪村生誕地」が
大阪毛馬村であること自体が、地元でもあまり知られておらず、ましてや大阪市会で討議に出されたことも初めてです。

吉村市長は、「今年の与謝蕪村生誕300年記念の年」の行事には優先的に答えず、大阪文化振興の全体施策に意欲を示しました。勿論「与謝蕪村生誕300年記念の年行事」進行が、市長の脳裡には存在するものと信じます。

この意味でも、新人市長から直近の文化振興の方針を引き出した八尾議員の今回の討議成果を評価します。


ところでNPO法人近畿フォーラム21は、蕪村生誕300年記念事業として今年1月23日に、蕪村公園の隣「淀川神社」に「蕪村銅像を建立」しました。

3月15日には、蕪村生誕300年記念事業として「第12期蕪村顕彰俳句大学講座」の「優秀句記念プレート碑」を蕪村公園に建設しました。

・5月1日には、都島区民センターで「蕪村生誕300年記念シンポジウム」を開催します。学者・俳人の講演と演壇での討論も行います。

・また、今年9月11日には、市立淀川小学校で、「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式」を開催し、地元・全国・海外の俳句愛好家・児童生徒からの俳句応募作品を選考して、優秀句に表彰状を授与致します。更に同日近郊の蕪村公園で「蕪村生誕300年祭」の行事を行ないます。

これは、大阪俳人蕪村の実績と生誕地が毛馬町で在ることを、後世に継承するのが、我々NPO法人近畿フォーラム21の念願です。

吉村市長、どうかこうした「蕪村生誕300年祭」にご協力を頂きますよう、切にお願い致します。

 
<蕪村顕彰全国俳句大会に「文化庁が後援」>
NPO法人近畿フォーラム21 事務局
画期的なことが、実現しました。

NPO近畿フォーラム21は、活動主軸を「大阪文化の振興」に置いて、江戸時代の三大俳人の一人、大阪生誕の与謝蕪村を顕彰し、後世に伝承するために、平成22年4月に「蕪村顕彰俳句大学」第1期講座を開講し、今開講中の講座も既に第12期講座に達して、28年3月31日に終えることになります。

このNPO法人活動の開始と同時に大阪府、大阪市が「後援支援」に賛同して貰い、今は9団体が「後援団体」となっています。「蕪村顕彰俳句大学」の発展、と蕪村俳句の顕彰と当NPO法人の権威確保に力をお借りしています。

更に「俳句界」刊の兜カ學の森と協同して、第7期から「蕪村顕彰全国俳句大会」を開講し、地域主催の俳句講座の作品に加えて、全国から俳句応募作品を多数集められたことから 大いに母体の「蕪村顕彰俳句大学」は盛り上がりました。

こうした中で、NPO法人は、国の中央官庁に我々の文化振興の気概と積み上げてきた実績を評価して貰おうと、国レベルの官庁に「後援」を申請したいと考え、「文化庁」に実績書類と申請書を付けて懇請をしました。

「文化庁」としても、地方での文化活動実績の精査に長期に時間を懸け、何と平成28年3月7日付で、「文化庁後援名義の使用許可」を回答した文書を送付してくれたのです。「後援期間」は28年4月1日〜28年9月30日の「第13期蕪村顕彰俳句全国大会」の時期となっています。

NPO法人では、この「後援使用の回答」に、歓喜のあまり頭が真っ白になり感動しました。

つまり、28年の「蕪村生誕300年の年」に国の中央官庁から我々の事業に「後援」を頂いたことは、「夢」の実現だったからです。

早速、NPO法人近畿フォ−ラム主催で活動組織の「蕪村顕彰俳句大学の川原俊明学長(弁護士)」と「蕪村生誕300年記念行事実行委員会委員長(大阪市立大学分文学部教授)」に架電して知らせた処、二人からも最高の喜びの言辞が飛び出して返って来ました。

先ず、この「後援」を頂くで、5月1日に地元都島区民センターで行う学者、俳人の講演、俳人群と蕪村討論する「蕪村生誕300年記念シンポジューム」も、この「文化庁後援」を背景にして、おおいに盛り上がることは間違いありません。

更に9月11日に開催する「第13期蕪村顕彰俳句全国大会・表彰式」にしても、地元俳句受講生は勿論、全国・諸外国俳句愛好家、児童生徒から、従来を遥かに超える俳句作品の応募を決意して出句を増す感情を湧きだす事も、間違いありません。

どうしても「文化庁」が「後援を許可」してくれたこの機会に、大阪生誕であることの低い与謝蕪村の知名度を一層向上させると同時に、蕪村の名と、蕪村「俳句・絵画」を後世に継承することに絶大なお力を拝借させて頂けるものと信じます。

この意味で、今回の「文化庁後援許可」に対し、伏してお礼申し上げます。

 
<今年は「与謝蕪村生誕300年記念の年」です〜第12期・「1月句会講座」が終わりました〜>
蕪村顕彰俳句大学  事務局
大阪俳人与謝蕪村の生年月日は分かりませんが、今年平成28年(2016)に「与謝蕪村生誕の300年」の「記念の年」迎えました。 その「生誕300年」の1月記念句会講座が開講し、無事終わりました。

句会講座は、
・大橋晄講師が、1月8日(金)
・山尾玉藻講師が、1月27日(水)
・柴田多鶴子講師が、1月28日(木)
にそれぞれ、開講して頂きました。

3人の講師とも、句会講座の冒頭に「今年が与謝蕪村生誕300年」であり、大阪輩出の偉大な俳人であることを講演され、中には「蕪村の俳句」を取り挙げて、「蕪村の俳句が如何に素晴らしいものかを、学び、後世に継承しましょう」と述べられました。

講座はつづいて、3講座受講生の出句作品を、受講生がお互いに選考し合ったあと、締め括りに3人の講師が「1句づつの選評と優秀句の選考」を発表され、今年最初の記念句会講座を無事に終えました。

この内、柴田多鶴子講師から「優秀句の寸評」を頂きました。

<◆秀作寸評四句   柴田多鶴子>

・獅子舞や三和土の広き宿場町  野崎かづ子

正月の門付けの獅子舞にとって三和土の広い家は便利で嬉しいことであろう。家の中まで入って舞をまってみせる。何も説明せず三和土の広さだけ述べているところがよい。

・獅子舞の御賜も用意して待てり  春名  勲

家々を回り祝儀を頂く獅子舞にとって、早くから用意して待ってくれるありがたい家である。京阪などでよく使われる言葉「御賜め」にしきたりを重んじる人々の心がうかがえる。

・悴む手悴みて見る辻易者  師岡 洋子

易者に手相を見てもらいたくてやってきたわけで、悩みを抱えている人であろう。手も心もこごえそうである。その手を見る辻易者も悴んでいたという。はたして幸運がひらけるのであろうか。

・竹刀持つ指の悴む稽古前  政元 京治

剣道の稽古が始まる前の寒さを指の先で感じている。稽古が始まれば十本の指も熱気があふれることであろう。おそらく寒中の稽古を詠まれたもの。

素晴らしい優秀句を頂き、有り難う御座いました。

◆さて、第12期は、2月句会講座を間もなく開講します。

2月句会講座が終わったあと、「第12期優秀句表彰式」は、予定を変更して取り止めにしました。しかし 「一般の部」、「児童生徒の部」、「国際蕪村俳句賞の部」は、現在「選考中」で、選考が決まり次第、受賞者に「大阪府知事・大阪市長・大阪教育委員会委員長・国際交流基金理事長・関西大阪21世紀協会理事長・蕪村顕彰俳句大学学長・淀川神社」の各賞を授与します。その上で受賞者に賞状をお送り致します。ご了解ください。

◆ところで最も重要な「蕪村生誕300年記念年」の第13期講座が、「蕪村生誕300年記念全国大会」です。

「俳句界」発刊の兜カ學の森と共同運営で、全国から俳句作品を募集します。
下記に「蕪村顕彰全国大会」をご案内します。

◆<蕪村生誕300年記念の「年」の重要活動 〜平成28年4月〜平成28年9月〜>

NPO法人近畿フォーラム21 主催
蕪村顕彰俳句大学 学長 川原俊明(弁護士)
蕪村生誕300年記念行事実行委員会 委員長 村田正博 (大阪市大教授)
兜カ學の森

後援:大阪府・大阪市・独立行政法人国際交流基金・公益法人関西・大阪21世紀協会・
大阪市教育委員会・大阪俳人クラブ・学校法人追手門学院・(社)日本書芸院・大阪文化団体連合会 淀川神社

■第13期「蕪村生誕300年顕彰句会講座」(講座は2講座)

@「句会」:「火星」俳句会主宰 山尾玉藻講師 原則 第4水曜・13時〜16時 
講座日:4月27日(水)、5月25日(水)、6月22日(水)、7月27日(水)、8月24日(水)

A「句会」:「雨月」俳句会主宰 大橋晄講師 各月原則 第2金曜・13時〜16時 
講座日:4月8日(金 )、5月13日(金)、6月10日(金)、7月8日(金)、8月12日(金)

・会場の都合により講座日を変更せざるを得ない場合、早急に連絡いたします。

■第13期「蕪村顕彰俳句大学句会講座」名: 大橋晄講師講座、山尾玉藻講師講座

・会場:大阪市立総合生涯学習センター(駅前第2ビル5F)に変更
・(大阪市北区梅田1-2-2-500 電話:06−6345−5019 )

■活動事業等―蕪村生誕300年記念を顕彰し、大阪俳人蕪村を後世に継承するため、受講生俳句つくり活動に傾注し「蕪村生誕300年記念表彰式」にむけて、全国・諸外国から俳句作品の応募を行う。

■「蕪村生誕300年・選考委員・一般の部―茨木和生俳人協会常務理事 宇多喜代子現代俳句協会名誉顧問、千原叡子日本伝統俳句協会関西支部長

三村純也大阪芸術大学文学部教授(選考委員長―一般の部、児童生徒の部、国際俳句蕪村賞の部)
山尾玉藻講師・大橋晄講師・朝妻力講師・浅川正講師(児童生徒の部一次選考)

■「蕪村生誕300年記念全国俳句大会・表彰式」:一般の部・児童生徒の部・国際俳句蕪村賞の部は、「大阪府知事・大阪市長・大阪教育委員会委員長・国際交流基金理事長・関西大阪21世紀協会理事長・蕪村顕彰俳句大学学長・文學の森理事長、淀川神社(一般の部のみ)」の各賞を授与します。

全国応募要綱は、兜カ學の森と協議の上、再掲致します。

■・表彰式期日 : 平成28年9月11日(日)午後1時開催

・式典会場 大阪市都島区友淵町3−5−29 「大阪市立淀川小学校多目的室」

★<第13期・受講お申込みの方へ>

蕪村生誕300年記念句会講座(大橋・山尾講師)へ受講希望の方は、下記申込み欄に加入句会名、お名前・ご住所・お電話・FAX番を、また継続の方で連絡先に変更がない場合はお名前のみで結構です。

★なお受講費は、第13期第初回講座において、教室で事務局が現金受領致します。

★全国応募は有料。

★<お問いわせ>:メールアドレス:sei-watanabe@mail.zaq.jp 

事務局高槻支部FAX:(072)682−7479へご送信下さい(理事渡邊征一郎)

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■蕪村生誕300年記念の年・開講「蕪村顕彰俳句大学 第13期講座 申込み用紙 」

[継続] [新規] [退会]

句会講座名                    

氏名              

連絡先住所                 

TEL/FAX

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<「与謝蕪村銅像」の建立除幕式 終わる>
毛馬 一三
今年2016年の「蕪村生誕300年記念行事の年」が始まりました。その手始めとして大阪毛馬町の氏神神社「淀川神社境内」に、建立した「与謝蕪村銅像」の除幕式を、1月23日(土)午後1時から、同神社境内で行いました。



「蕪村銅像」の建立は、筆者主宰のNPO法人近畿フォーラム21と、大阪毛馬町に奈良時代以前からある「氏子淀川神社」と共同して、大阪俳人与謝蕪村顕彰と、後世にその名を継承する為、蕪村愛好家や地元の人たちの賛同で得た上で成し遂げたものです。当日は、狭隘の境内に見学者ら100人近くが集まり、華々しい除幕式が行われました。


除幕式は、まず淀川神社の横路良宮司に修祓、玉串奉納、献饌を行った後、主催を代表して蕪村顕彰俳句大学の川原俊明学長(弁護士)、蕪村生誕300年記念行事実行委員会の村田正博委員長(市大文学部教授)、横路良宮司が祝辞を述べました。


この後来賓代表と主催者側が白布で包まれた「銅像」に付けけられた紐を双方から引きますと、高さ1m60pの勇壮な坐像銅像の姿が現れました。蕪村の表情は、喜びを綻ばせているようでした、


続いてご来賓等のご紹介が行われ、この中でウクライナから京都大学工学部の教授としてこの1年在籍されるガリーナさんが、「この銅像建立は日本俳句文化の向上に繋がり、諸外国も関心を高めるでしょう」と挨拶し、参加者の方々から大きな拍手が湧きました。

上記が「除幕式」の概略です。

では「どうして蕪村望郷毛馬の淀川神社に蕪村銅像を建立したのか」。そのことを改めて書き添えたいと思います。これから追々。

注目の「淀川神社」は、平安朝初期、またはそれ以前に、与謝蕪村生誕地の摂津国東成郡毛馬村字外島(現・毛馬町1−2−11)に氏子神社として創建されました。ですから毛馬村に住む氏子たちは、その時代の頃から常慣習として淀川神社に参詣していたのです。

実は淀川神社は、今の毛馬町に、当時のまま存在しています。これが銅像建立との重大なご縁が結びつくのです。

蕪村は享保元年(1716年)に、この摂津毛馬村で生まれました。蕪村生家は、父が毛馬の庄屋主で、問屋、宿屋も営む「北国屋吉兵衛」。母は丹後与謝の名家から奉公人として来た「げん」でした。その2人の間に、男のこの(幼名・寅―後の蕪村)として誕生したのです。しかし家系を継承出来る「実子」ではなく、私生児だったのです。勿論肝腎の蕪村の「生誕日」も、未だ不明です。

北国屋庄屋は「淀川神社」の氏子でしたから、氏子慣習で、蕪村の生誕後も仲のいい両親と共に、正月や節句、お祝い、悩み払いの時などに「淀川神社」を参拝していたと思われます。

ところが両親を亡くした蕪村は、北国屋庄屋の実子ではなく、正妻の子でもなかったために、庄屋継続が出来ない苦境に追い込まれ、幼少の頃から庄屋親族から様々な苦衷に見遭わされたと思われます。その都度、悲境回避や厄払いなどのお願いを、この「淀川神社」に参詣をしたと推測されます。


結局、苦境に耐えらない17・18歳の頃、実家庄屋は、享保時代のバブルに見舞われて大阪豪商に庄屋を買い取られた為実家庄屋は破滅。結局蕪村は、故郷毛馬を出奔し、江戸に下る決断をします。その際も、きっと氏子として「淀川神社」に生涯安泰の祈願をして参拝したに違いあません。

蕪村と「淀川神社」は、こんな深い因縁の存在が幾つも予想され、無縁では絶対無かったのでしょう。

この歴史的な因縁を考えて、NPO法人近畿フォーラム21では、「淀川神社」と協議を進め、協力関係を確立しました。画期的なことでした。そして「蕪村銅像」を同神社境内に、昨年の暮に建立したのです。


その記念行事を世間に広めるために、冒頭記載のように1月23日(土)午後1時から、「蕪村銅像を建立した淀川神社で、除幕式」を行ったのです。


これから、与謝蕪村が出奔後切望していた生誕毛馬村への「望郷の念」を、今時代に充してやるとともに、蕪村生誕地が大阪毛馬村であることを、今年の「蕪村生誕300年の年記念行事」の先発行事として始め、地元、全国、諸外国にこうした「銅像建立」の理由の祭事として広めて行きたい考えです。

 
<1月23日 蕪村銅像建立 除幕式> 
NPO法人近畿フォーラム21主宰・蕪村顕彰俳句大学
蕪村生誕三百年記念事業実行委員会・淀川神社
淀川神社に蕪村銅像

大阪毛馬町の氏神神社「淀川神社」に、「与謝蕪村銅像」を建立いたしました。

NPO法人近畿フォーラム21主宰で、大阪俳人与謝蕪村を顕彰し後世にその名を継承する為に、「淀川神社」のご賛同を得て、淀川神社境内に「蕪村銅像」を建立し、蕪村生誕300年の「記念の年」の初めの「平成28年1月23日(土)13時から、同淀川神社境内で「蕪村銅像」の除幕式を開催することになりました。画期的祭事です。

ところで「淀川神社」は、平安朝初期、またはそれ以前に、与謝蕪村生誕地の摂津国東成郡友渕村字外島(現・毛馬町1−2−11)に、氏子神社として創建されています。淀川神社は、合祀を重ねながらも、今の場所に当時のままの境内の形で存在しているのです。

俳人与謝蕪村は、享保元年(1716年)に、この摂津毛馬村で生まれました。生家は、父が毛馬の庄屋の主で、問屋、宿屋も営む「北国屋吉兵衛」。母は丹後与謝から奉公人として来た「げん」でした。その2人の間に、男の子(幼名・寅―後の蕪村)として誕生したのです。しかし肝腎の生誕日は未だに不明なのです。こうした中で、北国屋庄屋が「淀川神社」の氏子でしたから、江戸時代の氏子慣習で、蕪村の生誕後、両親と共に「淀川神社」を参拝していたことは間違いありません。その後両親を亡くした蕪村は、様々な苦衷に遭わされ、実家を出奔する際の厄払いなどの時にも、「淀川神社」に生涯安泰の祈願参拝をしたことでしょう。

このご縁を考えて、NPO法人近畿フォーラム21は、「淀川神社」と協力関係を確立し「蕪村銅像」をここに建立しました。そうして、記載の様に1月23日午後1時から「蕪村銅像建立除幕式」を行うことに致しました。
いよいよ今年は、蕪村生誕300年「記念の年」。どうか皆様 「銅像除幕式」にご参加頂きたく存じます。

建立除幕式

平成28年1月23日(土) 13時〜15時
淀川神社 境内  
大阪市都島区毛馬町1−2−11



淀川神社ホームページ
http://www.buson-kensho-u.com/yodogawa-shrine/

 
<今年は「蕪村生誕300年」の「年」>
NPO法人近畿フォーラム21
理事長    池尻一寛
明けましてお目出度う御座います。

いよいよ今年は2016年になり、「蕪村生誕300年」の「年」を迎えました。

そこで、我々NPO法人近畿フォーラムが主宰し、蕪村顕彰俳句大学(学長 川原俊明弁護士)、蕪村生誕300年記念行事実行委員会(委員長 村田正博大阪市大文学部教授)、兜カ學の森(社長 姜h東)、淀川神社(宮司 横路良)と共同して、新年から各種の「記念行事」を行います。

残念なことに、江戸時代の三大俳人の内、芭蕉と一茶は、生誕地で毎年盛大な「御祭り」が行われていますが、与謝蕪村だけは、生誕地の大阪毛馬町で「生誕記念御祭り」が行われたことが在りません。ですから、大阪地元ですら与謝蕪村が、大阪毛馬生誕の俳人だとは、中々知られていないのです。

これでこれを我々の努力で、俳人蕪村の顕彰と俳句文化の振興、そして大阪毛馬生誕蕪村を後世に継承しようというのが、行事共同者との目的であり、願いなのです。

では、「生誕300年」の「年」を迎える与謝蕪村のことを、改めてこれから追々。

与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)で生まれました。丁度今から300年前の享保元年です。これだけははっきりとしています。ところが、肝腎の「蕪村生誕日」が分らないのです。

蕪村(幼名―寅)は、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて産まれまれました。庄屋の父の正妻には娘が居たようですが、蕪村は、庄屋を引き継ぎ出来ない私生児だとして、一族からは冷酷な扱いに遭わされたらしいようです。

そのうえ母親と父が若くして死去したあと、蕪村が庄屋跡継ぎに成れることはなく、後年に一時、後継者の役割を果して欲しいという身勝手な一族要請の仕掛けもあったようですが、「後継者資格なし」の理由が再興して、結局、生誕庄屋自体は大阪豪商から奪われるように買い取られ、家伝庄屋は潰れてしまったのです。

このためでしょうか蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬の出奔を余儀なくされ、江戸に下ったのです。上記の劣悪な諸事情からでしょうか、蕪村は出奔以来、極度な望郷は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていないのです。

蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人でした。蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号しています。

<寛保2年(1742年)27歳の時、師早野巴人が没したあとは、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊しました。その際「蕪村」と号したのです。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えました。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けたのです。島原(嶋原)角屋で俳句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごしました。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されています。

蕪村は、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明、京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、68歳の生涯を閉じました。> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、生誕地毛馬村をすり抜けて、頻繁に大阪に苦吟にやって来ています。京都から淀川を船でやって来て大阪に上ったのは、生誕地毛馬村と少し離れている淀川(現在は大川)下流の源八橋の検問所があった船着き場でした。ここから、大阪市内に居る数多くの門人弟子らを訪ねて回っているのです。

しかし船着き場の源八橋から「生誕地だった毛馬村」まで歩いても、僅か30分ほどしかかかりません。それなのに蕪村は、生涯毛馬には一歩も足を踏み入れなかったのです。

やはり母と父の死後、家人から苛められ過ぎて、再び帰郷すれば脳裏全体に辛苦が走ることを考え、終生このことが「怨念化」して郷里立ち寄りを阻んだのでしょう。とは云うものの、蕪村の「望郷の念」は、人一倍あったのは間違いありません。

さて、ここから大切な私たちの「蕪村生誕300年の年」の行事の活動です

蕪村の父はいまも存在する「淀川神社」氏子でした。ですから父母と一緒に蕪村は「淀川神社」に参詣しことは江戸時代の常習でした。蕪村は幼少の頃から江戸へ出奔するまでの苦衷の念に浸されていたのころ、氏子として「淀川神社」に祈願参詣したでしょう。

従ってこのご縁を取り入れ、念願の「蕪村生誕300年の御祭り」の最初行事として、今もある淀川神社境内に、協賛者のご協力をえて昨年暮、高さ1m60pの「蕪村銅像を建立」しました。

そして、建立した「蕪村銅像の除幕式」を、正月23日午後1時から行うことにしています。まさに最初の「記念行事」になります。

続いては、3月10日に、大阪市大と協力して大阪天神橋六丁目の「大阪区民センター」で「講演会」開催し、蕪村通り商店街の会長や建築家に出演してもらい、蕪村に馴染むまちづくり計画の提示を基に「討論会」を実施します。これが「蕪村生誕300年の年」からの蕪村まちづくりに着手する二次目の行事です。

更に5月1日の午後1時からは、「都島区民センター」で、蕪村生誕300年行事実行委員長・村田正博市大教授主導で、盛大な「蕪村生誕300年シンポジューム」を、学者や俳人、受講講師、弁護士が参加して「講演会」「討論会」を開催します。大阪で「蕪村を主題としたシンポジューム」が開かれるのは、これが初めてです。

そして9月11日には、株o句界と共同して、全国・地元・諸外国から俳句作品を募集し、優秀句の「表彰式」を行います。その優秀句を近郊の蕪村公園に「プレート碑を建立し、除幕式を行います。更にはその公園内に「生誕300年を祝する記念植樹」や「御祭り踊り」等の「300年記念行事」を行うことにしています。

何としてでも「蕪村生誕300年記念祭」に実効をあげ、大阪俳人与謝蕪村の名を、NPO法人のホームページや都島区役所の広報、地元・全国俳句愛好家等を通じて、国内外に広めたいと考えています。後世の継承していくのも、当然の使命です。

大阪を行脚しながら、生誕地毛馬町に一度も足を踏み入れなかった蕪村を、今年の「蕪村生誕300年記念祭」開催時に、「蕪村の魂」だけでも大阪毛馬の地に飛来して貰いたいと思っています。「望郷の念」に浸されていた蕪村の「夢」を実現させることが、願いなのです。(了)

 
<第12期12月句会講座終わる>
蕪村顕彰俳句大学 事務局
蕪村顕彰俳句大学の第12期12月句会講座は、12月9日から始まり、盛会の裡に無事終了しました。

最初の講座は、12月9日に山尾玉藻講師句会
・2回目は、12月11日に大橋晄講師による句会
・3回目は、12月24日に柴田多鶴子講師に依る句会が開講しました。

それぞれ講師陣が提示した「兼題」をもとに俳句作品を、一人三句つくり上げ、句会講座で受講生が相互に気に入った作品を選考したあと、講師が受講生出句の優秀句の選考と「寸評」されました。

この講師に依る「優秀句等」の寸評に、受講生は熱心に耳を傾け、俳句つくりに参考にしました。

また講座では、蕪村生誕300年の「年」が、1か月後の平成28年1月から訪れる為、各講師が「蕪村生誕300年の意義」を講演されると共に、「蕪村顕彰俳句大学が進める300年祭行事実行内容をご紹介して頂きました。

これで第12期12月の句会講座は無事終わりました。

12月句会講座のうち、2句会講座の「秀作の寸評」を頂きました。下記に掲載させて頂きます。誠に有難う御座いました。


◆山尾講座秀作寸評  山尾玉藻


蕪村忌のぬか雨ありし竹矢来 小林成子

京都島原にはその昔蕪村が句座を楽しんだ揚屋角屋が現存する。この辺りは赤壁を美しい竹矢来が沿い、蕪村の時代を彷彿とさせる町並みである。蕪村の忌は十二月二十四、時雨がきらきらと走る頃。掲句の「ぬか雨」も時雨をさしており、雨に濡れた竹矢来が緑を深め匂い立つようである。抒情派俳人蕪村の忌に相応しい美しい一景である。

長靴で裏山へ入る年用意     蘭定かず子

新年の門松の根元の割木や繭玉の挿木などを年木と言うが、作者は年用意のために裏山へ年木を伐りに行ったのだろうか。それとも注連飾り用の裏白や松飾り用の松を採りに行ったのかもしれない。いずれにしても、この長靴は常には毎日の生活に即した働きをする長靴であろうが、今日は新年を迎える特別の仕事をするための長靴である。いそいそと裏山へ向かう長靴が見えるようだ。

御火焚や一人にひとつ盆の窪    大山文子

御火焚とは京都を中心にした近畿地方の神社仏閣で護摩木などを焚くお祀りでり、御火焚の煙や火の粉を被るとこの一年に汚れた身を清め厄を落とすとされている。そのご利益にあずかろうと御火焚を囲む人々は神妙な面持ちで少し頭を垂れているのであるが、作者の位置から皆のあらわな首筋が見え、それぞれに盆の窪が際立っていたのだろう。楽しい発見があり、他に類想を見ない御火焚の一句である。


◆柴田講座秀作寸評   柴田多鶴子


蕪村忌や大河は常に悠々と  岩出くに男

〈さみだれや大河を前に家二軒〉の蕪村の句があるが、作者の心の中には悠々とした大河が見えていて、その大河を巨きな星である蕪村に重ねている。


蕪村忌の角屋の灯り消えぬまま  春名勲

江戸時代の京都の島原は風流も好み文芸も盛んであり、角屋七代目の亭主も俳諧をたしなんだ。蕪村も出入りした角屋を詠みながら蕪村に思いを馳せる作者。

蕪村忌の筆洗に汲む淀の水  師岡洋子


筆を洗う器に淀川の水を汲んだという。蕪村は俳句・絵画・書いずれもぬきん出た才能の人である。また淀川の毛馬堤はゆかりの地であり蕪村忌にふさわしい内容の秀句となった。


蕪村忌や鳥羽殿跡へ雲いそぐ  新谷壯夫

〈鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分哉〉の蕪村の有名な句がある。作者は鳥羽離宮跡を訪ねられた。今はもうあとかたもない場所に佇んで折からの黒雲が流れるのを眺めるのみである。季語がつきすぎているきらいはあるが蕪村忌にふさわしい句。

上記、素晴らしい「秀作と講師寸評」を頂き、有難う御座いました。

ところで、第12期「1月句会講座」から、「蕪村生誕300年の年」を迎えます。画期的な句会講座のスタートです。そこで下記にその句会講座日程を掲載致します。

・1月18日(金)に、大橋晄講師句会
・1月27日(水)に、山尾玉藻講師
・1月28日(木)に、柴田多鶴子講師


ここでお詫びを申し上げます。実は事務所パソコンの不具合により、「11月度の各句会の秀作寸評」が未掲載となっていました。各講師及び受講生の皆様に、多大なご迷惑をお掛けしました。衷心よりお詫び申し上げます。山尾玉藻講師、柴田多鶴子講師から頂いておりました第12期11月度の秀作寸評を、遅ればせながら掲載させて頂きます。


◆山尾講座秀作寸評  山尾玉藻


鍬の柄のあめ色に初しぐれかな      蘭定かず子

畑仕事の最中の鍬か畝に休めてある鍬であろう。鍬の柄のあめ色から知れるように、これまでよく使い込んできた鍬である。艶やかなその柄にぱらぱらと時雨が来て、艶やかさを一層際立たせたのであろう。初雪、初蝶、初ものという表現でも解るように初の語には日本人特有の美意識から来る心待ちや心踊りが籠められている。掲句、労働の象徴のような鍬の柄を鎮めるようなまた労うような時雨であれば、やはり初しぐれであろう。


お染久松箱に仕舞へばしぐれけり    山田美恵子

つい先ほどまで傀儡師により使われていたお染と久松の人形が、舞台が済んで箱に収められる景。お染久松と言えば芝居や文楽では野崎観音の場が有名であり、お染の紅の振袖姿が印象的である。掲句、華やかな衣装のお染と手代姿の久松が暗い箱に仕舞われた途端に外では時雨が降り始めた、という因果で一句をなしている。この因果には嫌みがなく、読み手をすんなりと共鳴させる仕組みとなっている。私達が華やかさの裏にある翳りをどうしても感じるからであろう。

若冲の鶏の眼潤ふ時雨かな   永島 文夫

伊藤若冲が描く鶏の眼光や蹴爪には衝撃的な迫力がある。作者もその眼光の鋭さにこころ惹かれていたのだが、ふと外に降り始めた時雨に気付き暫くそちらへ目を転じたである。そしてふたたび絵に眼を戻したところ、鶏の眼に先ほどのようなめじから眼力を覚えず、おやっとこころが動いたのだ。その時の感応を「鶏の眼潤ふ」と直截的に述べたのである。それは薄墨色に静かに降る時雨をしばらく眺めていた作者のこころの眼が鎮まった所為であろう。


◆柴田講座秀作寸評   柴田多鶴子


遠吠えの闇しんしんと冬来たる  大平玲子

犬の遠吠えの聞こえてくる深い闇から、静かに静かに冬が訪れてくるという。「しんしんと」が静かさとともに身ほとりの寒気を感じさせて凄みのある句になっている。

しぐるるやぽつと灯の入る半衿屋  師岡洋子

京都に降る時雨はことに趣がある。半衿屋という場所も京都ならではのものである。舞妓さんや芸妓さんの身につける襦袢の掛け襟である半衿を商う店の灯と、季語の時雨が絶妙にひびきあって佳句になっている。時雨くる早さ過ぎゆく早さかな  伊福悠紀 冬のはじめごろの通り雨が「しぐれ」であるので、さあっと来てさあっと過ぎるというのはあたり前のことなのだが、この句の様に表現されるとリズムも快い。声に出して読んでみるとなお良い句である。

また一つ人住まぬ家山時雨  新谷壯夫

山と山にかこまれ、過疎となった集落の光景であろう。何年か以前より過疎状態が進んだような山の村では、またひとつ廃屋があったのだ。時雨が一層わびしさ寂しさを深める。

改めて申し上げ下ます。受講生の皆さん、「蕪村生誕300年の年」がいよいよ迫って来ました。どうか蕪村顕彰俳句大学を舞台に、大いに日本文化「五七五俳句」作りに頑張りましょう。世界にも発信して行きます。



<蕪村生誕300年の年の行事のお知らせ>


年を開け1月23日は蕪村生誕300年祭のメインイベントである蕪村像の除幕式が「淀川神社」で執り行われます。俳句界での蕪村の功績を後世に申しついで行く、画期的な行事です。

又5月1日には蕪村生誕300年記念シンポジウムを開催します。皆様の積極的な子参加を切望します。
 
<第12期最初の10月句会講座終わる>
蕪村顕彰俳句大学 事務局
蕪村顕彰俳句大学の第12期最初の10月句会講座は、10月9日から始まり、盛会の裡に無事終了しました。

最初の講座は、10月9日に大橋晄講師句会
・2回目は。10月22日に柴田多鶴子講師による句会
・3回目は、10月28日に山尾玉藻講師に依る句会が開講しました。

それぞれ講師陣が提示した「兼題」をもとに俳句作品を、一人三句つくり上げ、句会講座で受講生が相互に気に入った作品を選考したあと、講師が受講生出句の優秀句の選考と「寸評」されました。

この講師に依る「優秀句等」の寸評に、受講生は熱心に耳を傾け、俳句つくりの愉しさを堪能されました。

また講座では、蕪村生誕300年の「年」が、2か月後の平成28年1月から訪れる為、各講師が「蕪村生誕300年の意義」を講演されると共に、「蕪村顕彰俳句大学が進める300年祭行事実行内容をご紹介して頂きました。

これで10月句会講座は盛会の裡に終わりました。


10月句会講座のうち、2句会講座の「秀作の寸評」を頂きました。有難う御座いました。下記に掲載させて頂きます。

◆柴田講座秀作寸評   柴田多鶴子

二人して方向音痴穂絮飛ぶ   師岡洋子

夫婦・姉妹または仲の良い女同士など色々な二人が想像できるが「二人して」なので夫婦ではないかと思う。方向感覚がにぶく道をまちがいやすい二人が野原の道をとんでもない方向に進んでしまった。穂絮はそんな二人にかかわりなく自由に飛び立つ。「穂絮飛ぶ」への展開が面白い。

朝寒のくの字に曲ぐる膝頭   吉田操

朝寒は秋の季語。晴天の秋の朝は、ぐっと冷えこみ日中との気温差で寒さを感じてしまう。肌寒さに膝を思わず抱きかかえる姿勢になったのだろうか。「くの字に」が具体的である。

長女次女三女も二位よ運動会    吉田翠子

運動会の句はたくさんあるが、三姉妹の徒競走のことを詠んで面白い内容になった。どの子もぬきんでた成績でもなくビリでもない。勝ち負けにこだわらない家族像も見えてくる。

残る蚊を手で払ひつつ蓑虫庵    猪田初美

伊賀上野は芭蕉生誕地。伊賀の蓑虫庵を訪れて芭蕉を偲んで作者は句をひねられたのだろう。しつこくつき纏う秋の蚊に句作を中断されながらも、蓑虫庵にとどまる作者なのだ。

 
◆山尾講座秀作寸評  山尾玉藻

  
跳躍の砂を均しぬ秋高し  蘭定かず子

グラウンドで走り幅跳びか三段跳びの競技中の景ではなく、恐らくトレーニング中の景であろう。跳躍の人物が自分で乱した砂場の砂を手できれいに馴らし、また元のスタート地点へ戻って行く、そんな景が繰り返されているのが想像される。折からの抜けるように澄んだ秋天が、グラウンドでただ黙々とトレーニングする人物の動きを際立たせる。

天高し杖つくことをいとはずに   山本耀子

足か腰が不自由となり杖の力を借りねばならなくなった作者だが、これまではどうも抵抗を覚えて杖を素直に使えなかったのだろう。しかし雲一朶ない秋空が広がる日、これまでの杖への拘りが不意に無くなったのだ。秋の碧天は人のこころを大らかにしてくれるのだろう。素直な詠みぶりに好感を抱く。

豊年の一村跨ぐ高速路   河ア尚子

「豊年の一村」より、辺り一面こがね色に熟した稔り田が広がり、その金色の世界の宙を絶ちつつ無粋なコンクリートの高速路が続く景が想像される。一見、スケールの大きい豊潤の世界を詠んでいるようだが、この景が伝える翳りも読み取る必要があるだろう。長いスパンで考えると山河も大空もさして昔とは変わらないとも言えるが、現実の世界では確実に自然が侵されつつある。そんな現実を切り取った一句。

素晴らしい秀作と講師寸評、有難う御座いました。

さて、第12期11月句会講座ですが、
・11月13日(金)に、大橋晄講師句会
・11月25日(水)に、山尾玉藻講師
・11月26日(木)に、柴田多鶴子講師
によって、開講致します。

受講生の皆さん、「蕪村生誕300年」が迫って来ました。どうか蕪村顕彰俳句大学を舞台に、大いに日本代表文化「五七五俳句」作りに頑張りましょう。世界にも発信して行きます。

<お知らせ>
この蕪村ホームページを制作担当の技術コンサルタントが、この11月4日から急病のため病院に入院致しますので、暫く各欄掲載を「休刊」致します。退院され健康になられたら、「再刊」いたします。よろしくお願い致します。

 
<蕪村の新212句 あすから公開>
毛馬 一三
江戸時代の俳人与謝蕪村が詠んだ、これまで知られていない212句を収めた句集が見つかった。この前に報道記事を掲載した(蕪村顕彰俳句大学ホームページ)が、更に感動に基づき詳細に触れたい。

俳句集は、江戸時代後期に俳人や画家として活躍した与謝蕪村の弟子がまとめたもので、昭和時代の初期まで存在は確認されていたらしいが、その後行方不明になっていた。

ところが4年前、この句集は奈良の天理大学附属天理図書館が古書店から購入し、それを所蔵する奈良県の大学や専門家が、貴重な資料だとして研究していた。ところが最近になって、収録されている1903句中から212句が、蕪村の新しい句が分かったのだ。

このことを天理大学附属天理図書館が、14日に発表した。10月19日から11月8日まで天理大学附属天理図書館で公開される。

ところで、来年蕪村生誕300」年の「年」を迎えるために、記念行事事業を進める準備を進めている筆者は、驚いた。

これら212句のうち、「傘も化て目のある月夜哉」、「我焼し野に驚や屮の花」、「蜻蛉や眼鏡をかけて飛歩行」)という句があるという(読売新聞)。

蕪村を研究している関西大学の藤田真一教授は、「ぼろぼろになった傘の穴から月の光が差し込みお化けの目のように光っている様子を表現したユーモラスな句で、化け物を好んで題材にした蕪村らしい句だ」としている。

藤田教授は、「これだけの数の句がまとまって見つかりワクワクしている。蕪村の評価が進むことを期待したい」と話していた。筆者自身も親交のある藤田教授に、今月14日夕直接電話して「意外性」を確かめて処、「見つかったのは衝撃です。蕪村の残した手紙などと照合すれば、212句の時期や場所がわかるだろうし、愉しみです」と話してくれた。

ところで、蕪村が、芭蕉、一茶と並んで「江戸時代の三大俳人」であることや、「生誕地が大阪毛馬村であることを知ってひとは少ない」。生誕日は分からないものの、来年の生誕300年を控えてきたため、改めて蕪村に関して追々。

与謝蕪村は、江戸時代中期の享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。蕪村が飛び出した先は、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だった。

ところがが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、ミステリーだらけだ。この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。

<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蕪村は、師匠の早野巴人の弟子以来、京都や大阪などを吟行し、これまでに生誕地に一度も足を踏み入れていない。

蕪村が生まれたのは、毛馬村の裕福な庄屋(問屋・宿屋も共営)。母親は京都丹後から出て来た庄屋の奉公人で、庄屋主に愛されて生まれたこどもの私生児だった。

庄屋に娘がいたが、蕪村への家業の継承の話は一旦出たこと在ったものの、むしろ他の奉公人からのきつい苛めにあわせられ、生誕地毛馬村との接触も徐々に薄れて行った。しかも幼くして両親を失ったため、私生児扱いの蕪村は艱難辛苦を重ね、結局生家には居られなくなった。

これが17歳のころ出奔して江戸へ下った主因だろうが、蕪村が生涯生誕地に戻らなかったのも、この幼少時代の悲痛心が導いていると思われる。

このような悲壮な幼少にくらべ、今回発見された句が「お化けを連想したりして遊び心にあふれた句」を作った蕪村の楽しむ心境を知りたいとおもい、212句のあたらしい句に早く接したい。

冒頭に記したが、この俳集は、天理大学附属天理図書館で10月19日から11月8日まで公開される。是非見学に出かけたい(了)。

 
<新蕪村顕彰俳句大學 12期講座始まる>
NPO法人近畿フォーラム21主宰
                   蕪村顕彰俳句大學
蕪村生誕300年を来年に迎える為に、これまで進めてきた受講生俳句講座がいよいよ第12期講座となりました。

第12期講座が来年1月を迎えますと、第12期講座はいよいよ蕪村生誕300年の「年」に入るのです。その意味でも、第12期講座は重要な意味合いを兼ねることになります。

第12期講座は

・10月9日(金)、すでに大橋晄講座が開講し終了しました。
これからは
・10月22日(木)に柴田多鶴子講座
・10月28日(木)に山尾玉藻講座
が、開講致します。

前述のように第12期講座は、蕪村生誕300年の「年」の講座に入りますので、各講師から「蕪村俳句の愉しみ方」や「蕪村の生甲斐」などの講演をなされることを期待して居ります。

どうか、これから始まる2講座で「俳句つくり方」に励まれ、講師から受講生毎に出して頂く「寸評」をご参考にしながら「俳句つくり」に勤しんで下さい。

 
<蕪村顕彰全国俳句大会第11期表彰式 開催>
NPO法人近畿フォーラム21主宰
                   蕪村顕彰俳句大學
 いよいよ「蕪村顕彰全国俳句大会第11期表彰式」を9月13日(日)午後1時から、大阪市立淀川小学校で開催致します。

全国誌「俳句界」発刊の兜カ學の森と共同して、全国の俳句愛好家と蕪村顕彰俳句大學運営の「句会講座」の受講生の応募作品から専門家に優秀句を選考して頂いた「一般の部」で、「大阪府知事賞、大阪市長賞、公益財団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞、当学長賞、兜カ學の森賞」を授与致します。

また、大阪市立、私立の小中高校から俳句作品を応募頂いた「児童生徒の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、当学長賞、それに
今期から新規に設けた淀川神社賞」を授与します。

 さらに、諸外国から応募された俳句作品の「国際俳句蕪村賞の部」で、優秀句に、「大阪府知事賞、大阪市長賞、独立行政法人国際交流基金理事長賞」を授与致します。

 このほか、上記3部に「佳作賞」を授与し、蕪村顕彰俳句大學の3「句会講座」の講師推薦賞も授与いたします。

 江戸時代の俳人・与謝蕪村生誕300年の年が、来年平成28年に迎えますので、今期全国俳句大会第11期表彰式は、その「お祭り」の前哨となりますので、おおいに盛り上がるものとおもいます。

 式典が終了したら、蕪村生誕地近郊の「蕪村公園」に、表彰された「優秀句の記念碑」を建立します。11期目の「記念碑」となります。

どうか、大阪毛馬生誕の蕪村に関心を抱いて居られる俳句愛好家の方は、大阪市立淀川小学校での「表彰式」「蕪村公園の記念碑」をご覧にお出でくださるよう、伏してお願いいたします。与謝蕪村も歓迎しているでしょう。

 
<8月句会講座 終わる
       いよいよ蕪村顕彰全国俳句大会へ >
NPO法人近畿フォーラム21主宰
                   蕪村顕彰俳句大學
第11期蕪村顕彰俳句大學「句会講座」を締め括る「8月句会講座」が終わりました。

「8月句会講座」は、
8月26日に、山尾玉藻講師
8月27日に、柴田多鶴子講師
8月28日に、大橋 晄講師の
3講座が開かれました。

第11期「句会講座」を終りとするだけに、3講師の下で受講生同士の選句と、講師による俳句講評と寸評が進められました。また「蕪村生誕と生涯」についての各講師の論評にも関心が集まりました。

山尾玉藻講師と柴田多鶴子講師から、受講生の8月講座に優秀句の寸評を寄せて頂きました。有り難う御座います。下段に掲載させて頂きます。

まず、
秀作寸評   山尾玉藻

ましづかな蟻の行列秋暑し  山田美恵子

小さな蟻が犇めきあって列をなしている景である。蟻たちは何か発信し合っているのだろうが、勿論人間にそれは聞こえない。だから「ましづかな」の措辞は当然と言えば当然であるが、それを敢えて表現することで、秋の昼の静寂さの中で無尽蔵な蟻の数やその忙しそうな動きを強くイメージさせる。その点が読み手にも「秋暑し」を実感させる由縁である。

手隙なる夫の飾りし岐阜提灯  今澤淑子

お盆を迎える用意に作者は何かと多忙であるのだろうが、ご主人にはこれと言う用事もない様子だ。しかし、特別な力仕事でもなく、この位なら自分にも出来るだろうと、ご主人は岐阜提灯を飾り始めたのである。提灯を開くバリバリという音に「あっ、やってるやってる」と聞き耳を立てる作者。「手隙なる」に少々の皮肉も感じられ、ほどよい可笑しみのある一句である。

草むらに猫の茶碗が残暑なる   蘭定かず子

誰かが草叢に住みつく野良猫に餌をやっている事を知っている作者であろう。恐らく空腹の猫が綺麗に舐めまわしたのだろう、晩夏の日を浴びて空っぽの茶碗がてらてらと光っている様子が想像される。日常の取るに足りない景を切り取っているようだが、こんなちっぽけな所にも季節の移ろいを見つめる眼差しは貴重である。

続いて、
秀作寸評   柴田多鶴子

銀河濃き一万尺の小屋泊り   新谷 壯夫

作者は登山愛好家である。日本のみならず3000メートル級の世界中の山に登っておられる。一万尺の山小屋で見る銀河の美しさは格別であったことだろう。

ひとつまみ秤に足して新小豆   北山 純枝

スーパーなどではない、昔ながらの市場の乾物屋で見つけた新小豆。100グラム200グラムと必要なだけ量り売りしてくれる。秤にひとつまみ足してくれる嬉しさ。買う人と売る人との気持ちの通い合いが伝わる。

銀漢を最終便の灯の渡る   山口  登

銀漢は銀河のこと。澄んだ夜空の銀河を飛行機の灯が渡ってゆく。その灯ははるかに銀河の奥へ進んでゆくように見える。「灯の渡る」にロマンがある。

天の川銀襴の帯広げたり   中井留美子

豪華できらびやかな織物である「金襴」その金の糸のかわりに銀の糸を用いたのが「銀襴」。天の川は銀襴の帯を広げたようだといわれて納得した。

受講生の秀作は、山尾講師、柴田講師の寸評されているように素晴らしいです。

さて、兜カ學の森と共同して、いよいよ「蕪村顕彰全国俳句大会」が9月13日(日)に、恒例の大阪市立淀川小学校で、13時から表彰式を開催致します。
全国・地元俳句応募の「一般の部」、地元応募の「児童生徒の部」、諸外国から応募の「国際俳句蕪村賞」の優秀句に対して、「賞状」を授与します。また講師推薦賞の優秀句にも「賞状」を授与します。

どうか、俳句愛好家、受講生、受賞者児童生徒のご家族の方々が沢山お集りますようお願い致します。

 
<感動した蕪村実物「絵画と俳句」閲覧>
毛馬 一三
 江戸時代の俳人与謝蕪村が、来年生誕300年の「年」を迎えるため、筆者主宰のNPO法人近畿フォーラム21では、全国初の「生誕300年記念祭」の諸行事を全国に先駆けて、蕪村生誕地大阪毛馬で実施する計画を進めている。

 ところが、蕪村を後世に継承して行く考えに同意してくれている大阪市会議員(前議会副議長)の杉田忠裕氏が、「蕪村と若冲の生誕三百年展覧会が、今
滋賀県甲賀市信楽町の博物館「miho museum」で開かれているので行きましょうか」と云って誘われた。

 これには驚きだった。我々と同趣旨の「生誕300年記念展覧会」と同じ表題を付けて、滋賀県の博物館で、何と半年も早く開催されているということ自体に驚嘆だったのだ。瞬間的に、これを見逃す訳にはいけないと思った。杉田忠裕氏にご案内をお願いした。

 7月31日午後1時、杉田忠裕氏の運転する自家用車に、筆者と同じNPO理事渡邊征一郎氏を同乗させて貰い、大阪から新名神高速道路を疾走して、1時間40分掛かって信楽インターチェンジを下車。

 あと、囲まれた山や谷を遠望しながら、幾つもトンネルを抜ける道路を通って15分走り、信楽町博物館の駐車場についた。そこからまたバスに乗り換えて10分ほど行き、ようやく本番の博物館「miho museum」に着いた。

 同博物館は、1997年11月世界的な建築家・イオペイシの設計によるもの。80%を地中に埋設したユニークな設計。敷地面積:30万坪、美術館棟(床面積);17,400u。観るだけでも、博物館に入館してみても巨大建物とわかった。

 これから本題。

 現場で杉田氏の知人2人と合流、5人で閲覧を始めた。この日は平日の金曜なので 閲覧者は少ないだろうと思ったが、なんと大勢が並んで見学している。

 「生誕三百年の蕪村と若冲」は、尾形光琳が亡くなった後の同い年の天才絵師だったのだ。蕪村は俳句も吟行したが、若冲は画家として専念した人物。

 博物館での2人の絵画等の陳列は、223点陳列されていた。蕪村に夢中な我々5人は、「蕪村絵画と俳句添付絵画」を凝視してまわった。現在展覧の蕪村筆閲覧図は、80点ある。

 この中には、閲覧予定も含め
 ・「花守の」与謝蕪村筆:俳句付き
 ・「学問は」与謝蕪村筆:俳句付き(8月4日〜)
 ・「雪月花」与謝蕪村筆:俳句付き
 ・「盆踊図」与謝蕪村筆:俳句付き
 ・「又平に」与謝蕪村筆:俳句付き
 ・「奥の細道図巻」与謝蕪村筆
 ・「山水図屏風」 与謝蕪村筆
 ・「夜色楼台図」 与謝蕪村筆 (国宝・8月18日〜)
 ・「蜀桟道図」  与謝蕪村筆
  などがある。
 
 「蕪村の各種の書籍」で、同上の「写真」は何度も見てきたが、目の前に与謝蕪村筆の実物の絵と筆文字を見ることが出来た上、蕪村や謝寅の名前自筆を見つめた時、不覚にも感動の涙が溢れ出て、止まらなかった。蕪村の生きざまと郷愁の想いを多少知っている筆者にとって、実物画のインパクトは強烈だったのだ

 この閲覧の最中、博物館の梨純次参事から、去年新しく見つかった「蕪村絵画」3図があり、世間に余り知られていない3図だとして閲覧を進められた。

 維摩(ゆいま)、龍(りゅう)、虎図(とらず)の与謝蕪村筆3図であった。そういえば、維摩も龍、虎図は、確かに本でも写真でも見たことはない。これも今回閲覧の感動の一つだった。

 閲覧者は、我々の金曜閲覧日には900人もあったという。8月1日(土)には、1500人を超えるでしょうと博物館員は言っていた。

 「蕪村と若冲の生誕300年展覧会」は8月30日まで行われる。滋賀県信楽町の博物館は非常に遠いけど、筆者の涙を誘うような感動を招いてくれるのは確かだ。是非「蕪村俳句愛好家」の方は、博物館の閲覧をお勧めします。(了)

 
<「蕪村顕彰俳句大學 7月句会」終わる>
蕪村顕彰俳句大學  事務局
 「蕪村顕彰俳句大學7月句会講座」が無事終わりました。

・7月10日に大橋晄講師による「句会講座」
・7月22日に山尾玉藻講師の「句会講座」
・7月23日に柴田多鶴子講師の「句会講座」
が、それぞれ開講しました。

 「句会講座」では、それぞれ、蕪村俳句の講演と、受講生出句作品を受講生に依る互選、各講師によって出句作品1句づつ「選句と寸評」が行われました。

 この3「句会講座」の内、2「句会講座」の講師から、「秀作寸評」を送って頂きました。素晴らしい秀作ですね。講師の「寸評」も、素晴らしいです。
 下記に掲載致します。有り難う御座いました。


<秀作寸評    山尾玉藻>

見覚えや柩の上の夏帽子   大山 文子

 身近な人の葬儀での嘱目詠だろう。出棺を見送る作者はふと柩の上の帽子に目をとめた。あっ、あの時にあの人が冠っていた帽子、と作者はすぐさま気づいたのである。季語「夏帽子」には暑さを凌ぐ健康的な趣があるが、その情趣が却って作者の悲しみを増幅したことだろう。上五「見覚えや」は哀切極まりない絶唱と言えよう。  

雲の峰素もぐりの子のぽこと出づ   河ア 尚子

 遥かな水平線に雲の峰が湧き立つ大海を前に、先ほど海中に潜って行った子供の様子を心配げに眺める作者なのだろうか。ややあってその子が思いがけない方向の海面にぽこんと浮かび上がってきたのだ。作者はほっと胸をなでおろしことだろう。大海原と雲の峰という大景の中で突然出現する子供の頭に焦点を当て、大変印象的な一句と成っている。
 
雲の軒の卵塊濡れゐたる    小林 成子

 軒下に蟷螂が産み付けた卵の塊をよく目にするが、この句の場合の卵塊もそうした類のものを指すのであろう。夕立でもあったのであろうか、濡れた卵塊が日差しをキラキラと返している。やや奇怪な形の卵塊だが、濡れたそれが輝いているのに作者は興味を覚えている。小さな卵塊に対峙するごとく空では雲の峰がそそり立つ。

<秀作寸評   柴田多鶴子>
              
ほうたるを呼ぶ児の減りて闇の濃し   田宮 恭子

 今年も蛍が飛ぶ頃となったが、水の美しい蛍沢も闇が濃いことだ。ほたるを呼ぶ子が減ったのでほたるの数も少ないのではと作者は言う。少子化・過疎化などとは言わず、「ほうたるを呼ぶ児が減りて」と詩情ある表現に仕上げた佳句である。

吾が影の流れ出すほど水を打つ   藤村 澄子

 打水の句は色々あるが、この句は打水の量に焦点をあてて詠んでいる。自分の影さえ流してしまいたいほど暑い日であったのだろう。「影の流れ出すほど」が思い切った表現で面白い。

少年の祭太鼓に父の笛   山口  登

 祭の一場面を父と子の姿で詠んでいて、情景が目に浮かぶ句である。力いっぱい太鼓を打ちつづけている男の子。逞しく頼もしくなった少年と、かたわらで励ますように祭笛を吹き鳴らす父親の姿がある。

少女から大人の気配祭髪   吉田  操

 祭のゆかたを着て、美しく結いあげた髪。祭髪によって少女というより大人の女性の雰囲気がただよっている。少女から少しずつ大人へ脱皮してゆく頃の、少女のそぶりなども感じ取れる。「祭髪」によって想像がふくらむ句である。


 さて、いよいよ、第11期最終の8月「句会講座」が始まります。

・8月26日(水)に山尾玉藻講師の「句会講座」
・8月27日(木)に柴田多鶴子講師の「句会講座」が。それぞれ開講します。
・8月28日(金)に大橋晄講師による「句会講座」。

 ところで8月「句会講座」が終わりますと、第11期のメインイベント「蕪村顕彰全国俳句表彰式」(文學の森と共同主催)を、9月13日(日)午後1時から、いつもの大阪市立淀川小学校で開催致します。
 
 全国と地元受講生から既に沢山の「俳句作品」が応募されておりまして、只今「一般の部の優秀句」のご選考が進んでおります。
 
 また、蕪村顕彰俳句大學で運営する、地元「児童生徒の部の俳句作品」と「国際蕪村俳句賞の部」にも作品が多数応募され 三村純也大阪芸術大学教授にご選考をお願いして居ります。

 ご選考が決まり次第、「優秀句の賞状」と、「表彰のパンフレット」、蕪村公園建立の「優秀句記念プレート碑」の制作にとり掛かります。

 どうか、9月13日の第11期メインイベント「蕪村顕彰全国俳句表彰式」(文學の森と共同主催)にご参加して頂きますようお願い致します。

以上

 
<6月「句会講座」が終わり、7月講座へ>
蕪村顕彰俳句大學  事務局

第11期「蕪村顕彰全国大会6月句会講座」が終わりました。

6月講座は、
・6月10日に山尾玉藻講師による講座開講
・6月12日に大橋晄講師による講座開講
・6月25日には 6月講座の締め括りとして、柴田多鶴子講師による高槻市での講座開講が 開講し、無事に、楽しい「句会」が総て終わりました。各講座は、恒例の進め方で行われ、講師による「蕪村俳句講演」から始められ、つづいて受講生出句作品の受講生互選から始まりました。

このあと、山尾玉藻講師と大橋晄講師、柴田多鶴子講師による「作品選考と寸評」が、受講生一人づつの作品について進められ、「俳句の妙味」「作り方の面白さ」「適切な言葉の選考」などについて、丁寧に進められました。講師の「寸評」は、本当に「俳句つくり」に役立ちますね。

山尾玉藻講師からは講座修了後、本誌に山尾玉藻講師の「秀作と寸評」を頂きました。

今度は、柴田多鶴子講師による「秀作と寸評」を頂きました。有り難う御座いました。どうか、講座受講生の作品とそれに対する柴田講師の素晴らしい「寸評」を下記に掲載します。拝読してください。

◆<秀作寸評   柴田多鶴子>

・東 大寺さまのでで虫よく太り   さとうひろこ

<でで虫は蝸牛の異称。奈良東大寺の寺領で見つけた蝸牛は大きく丸々としていた。ほかならぬ大仏さまの膝元であるので蝸牛までジャンボサイズだ。「東大寺さま」の「さま」が生きた句。>

・口まめな人に角出せかたつむり     横田裕子
 

<口かずが多くて閉口してしまう相手には「蝸牛よ角でも出して黙らせておくれ」と言うユーモアたっぷりの句。蝸牛の角は出したところで相手を威せるものではないのだが。>

・花菖蒲日照雨に深む濃紫     長谷川ちえ子

<菖蒲の花には雨もよく似合う。日照雨にも花の紫色を深めていると見てとった作者。菖蒲の咲き揃う苑の中で濃い紫色の花に焦点を絞って詠んで成功している。>

・源流の水を称へて岩魚釣る      伊田タキ子  

<渓流釣りの代表的な魚である岩魚。その岩魚を育てる清流の水源の森を称えながら岩魚釣りを楽しんでいる。源流の水に思いを馳せたところが良い。>

以上素晴らしい秀作と寸評でしたね。

◆なお、「第11期蕪村顕彰全国俳句大会」の表彰式は、9月13日(日)開催です。お送りして頂く受講生の方々の「同全国大会への俳句作品応募」は、7月15日が締め切りです。お送り頂く先は、兜カ學の森です。「句会講座受講生」の応募は、作品数の制限は無く、無料ですので、早めに「作品つくり」を済まされ、締め切り日前までにご応募して頂きます様、お願い致します。受賞を目指してくださいね。

◆いよいよ7月「句会講座」が始まります。・7月10日(金)に、大橋晄講師による講座開講・7月22日(水)に、山尾玉藻講座開講・7月23日(木)には、柴田多鶴子講座の開講です。第11期最後の7月の「句会講座」ですから、受講生の皆さん頑張りましょう。

(了)

 
<外国学生の俳句募集>
平成27年6月吉日

NPO法人近畿フォーラム21 理事長 池尻 一寛
蕪村顕彰俳句大学      学長  川原 俊明
諸外国の学生諸氏へ
俳句応募のお願い 

NPO法人近畿フォーラム主催「蕪村顕彰俳句大学」は、第5期から「国際俳句交流事業」を開始し、平成24年9月23日開催の同期「表彰式」で、第1回の「国際俳句蕪村賞」を授与致しました。

この「国際俳句蕪村賞の授与」には、「国際俳句交流」の「絆」を結んだ、フランス、ウクライナ、ロシア、台湾の諸外国の学生を含めた沢山の俳句愛好者から、素晴らしい作品を寄せて頂きました。

表彰式では、この作品の中から優秀句を選考し、「大阪府知事・大阪市長・当学長」名で「国際俳句蕪村賞」を授与したのです。これらの優秀句は余りにも優れた出来栄えだったため、日本の俳句愛好家から大変な評価を頂きました。

更に、画期的な慶事がありました。平成25年2月6日付で、日本政府(外務省所管)の独立行政法人「国際交流基金」(英語名:Japan Foundation)から、第6期表彰式の「後援名義使用」承認と「国際俳句蕪村賞の国際交流基金理事長賞授与」の承認を正式に得たのです。

同法人は、「国際文化交流事業を総合的かつ効率的に行なうことにより、我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、及び文化その他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与することを目的とする(独立行政法人国際交流基金法第3条)」という団体です。

政府からこうしたご支援を受けたことにより、目指す「国際俳句交流事業」は、世界へ大きく広がりを見せるものになると信じております。

これからは日本の伝統俳句を通じて「世界の人たちと"こころとこころ"をつなぎ、国際俳句交流を進める」活動を行って参ります。

そこで、お願いでございますが、既交流先の大学と諸外国大学の学生諸氏に対して、ご随時に「俳句の応募」をお願いしたく存じます。応募された作品には、大学教授や、俳句結社の主宰者等から「ご選考と評論」をお願いすると共に、「俳句の作り方のご指導」を受けて頂きたいと思っております。

どうか作品が出来ましたら、下記の「蕪村顕彰俳句大学」事務局にメールで、ご投句をお願い申し上げます。次世代を継ぐ学生諸氏に「日本伝統俳句文化」を学んで頂き、国際相互理解の増進と良好な国際環境の整備を、ご一緒に進めて行こうではありませんか。今期第11期の「「国際俳句蕪村賞」へのご応募の締切日は、2015年7月15日で御座います。どうか下記の当事務所宛に、沢山のご応募を頂きますよう心からお願いを申し上げます。

以上、お願いまで。

宛先:
〒534−0016大坂市都島区友渕町1丁目3−15−108
NPO法人近畿フォーラム21講座「蕪村顕彰俳句大学」
代 表 池尻 一寛

E−mail:jimukyoku@buson-kensho-u.com
 
<第11期5月講座終り、6月講座へ>
蕪村顕彰俳句大學  事務局
第11期5月句会講座は、大橋晄講師によって5月1日(金)に開講し、山尾玉藻講師句会講座は、5月27日(水)、柴田多鶴子講師による句会講座は、5月28日(木)に、それぞれ開講しました。

上記2句会講座は、大阪市大手前の追手門学院で開講、柴田講師講座は、高槻市での2回目の講座でした。

会場は、2か所に分かれ行われましたが、講座は「蕪村俳句の面白さ」の講師講演と、受講生出句作品の互選、つづいて講師による「選句と寸評」が行われました。

今の第11期講座は、兜カ學の森と共同し「蕪村顕彰全国俳句大会」として進めて居りまして、9月13日(日)午後1時開催の表彰式に向けて、地元3句会講座受講生と全国の俳句愛好家から俳句応募を行います。兜カ學の森への作品応募締め切りは、7月15日となっています。

このため、5月講座に参加された「3句会講座受講生の方々」は、「全国俳句大会」の向けた心構えで、講師講座を熱心に謹聴されて居られました。

さてー
◆5月山尾句会講座で、山尾講師から「秀作寸評」を頂きました。有り難う御座いました。

      <秀作寸評           山尾玉藻>

・検札のみぎもひだりも麦の秋          大山 文子
 車中詠である。「恐れ入ります、乗車券を拝見致します」と車掌が切符の点検に廻って来たのだろう。列車の左右一面には熟れきった麦畑が広がり、その黄金色に映えつつ丁寧に頭を下げつつ車掌が近づいて来る様子を目映く眺める作者。恐らく作者の座席は列車の後方であり、作者の視覚を借りて麦秋の黄金色に染まる奥行ある一車輛の形態が想像される。非常に印象鮮明でビジュアル的な一句である。

・衣更へてあご紐しかと鼓笛隊          前田  忍
夏服に着替えた子供たちの鼓笛隊であろうか、清々しく列を組み躍動的に進んで行く様子が窺え、読み手までもこころが弾む。とんがり帽子の顎紐がしっかりと結わえられ、初夏の陽光を浴びるそれぞれの顎が眩しく想像される。「更衣」の対象を鼓笛隊に定めたところが斬新であり且つ説得力がある。

・夕さるる肘のさびしき更衣           増田 忠勝
 薄暑の日が続くと人は早々に更衣をしたくなるが、汗ばむほどの陽気の日中に比べ夕刻ともなるとまだまだひんやりと感じる。その感覚を肘に託した表現が「肘のさびしき」なのである。更衣をした当初はこれまで隠れていた手足をどうしても意識するものであり、その点でその意識を肘に絞り「さびしき」と言い得たところが大変素晴らしい。

◆続いて、柴田講師から「秀作寸評」を頂きました。有り難う御座いました。 

<秀作寸評               柴田多鶴子>

・更衣ひととき妣の香の中に   伊福悠紀
  更衣の季節。とり出した衣類の中に母上の愛用されていたものがあったのだろう。その衣類は母に抱かれていた頃の記憶をよびさますものだったのではなかろうか。「妣の香の中に」身を置いて妣(亡くなった母)を偲ぶ作者である。

・原種みな素朴なかたち額の花   岩出くに男
  園芸種の華麗なアジサイの母種とされる額紫陽花は、額の花とも呼ばれる。アジサイに限らず品種改良前の花は素朴なたたずまいのものが多い。「原種みな素朴なかたち」の上五中七の措辞に納得させられる。

・賜るとせばすべて欲し苑の薔薇    岸田尚美
  見事な薔薇の苑に立ち、苑を眺めて思はずつぶやいたのではないだろうか。花の色、花の香り、どの薔薇もすばらしく頂けるものならばすべてを掌中に納めたいもの。絢爛たる薔薇の苑をこのような形で言い表した秀句である。

・更衣心の荷物軽くして   八百えみ子
  更衣したことで、身体はもちろん気分まで軽くすがすがしくなったことをうまく言い止めている。寒い季節にありがちな鬱屈した思いまで入れかわって軽くなったのであろう。


さて、いよいよ「6月句会講座」が始まります。
・6月10日(水)に、山尾玉藻講師講座
・6月12日(金)に、大橋晄講師講座
・6月25日(木)に、 柴田多鶴子講師
 が行われます。

「全国大会」への作品応募は、先述の様に7月15日に迫って来ました。どうか、6月講座に情熱を傾けて頂き、大いに頑張って「全国応募に挑戦」して頂きたいと期待しております。
よろしくお願い致します。

 
<与謝蕪村の生誕300年記念祭 開催>
毛馬 一三
与謝蕪村生誕日は不明だ。松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸時代の俳人与謝蕪村は、江戸の享保元年(1716)に生まれているが、肝腎の生誕日は不明だ。
しかも与謝蕪村の生誕地が、大阪毛馬村(大阪市都島区毛馬町)だということも、江戸時代から「正確」に知れ渡っていなかった。
生誕地は、明治時代になって、蕪村俳句を広く世に評価し紹介した正岡子規でさえ、蕪村生誕地が大阪毛馬村だと、論述していない。

生誕地が「毛馬町」だと分かったのは、なんと終戦直後戦後になって、やっと「証明」されたのだ。しかし前記のように「生誕日」は、今になっても分からない。

与謝蕪村の生誕300年の年になる、来年2016年の年に記念祭行事に取り組もうと「蕪村生誕300年記念祭行事活動」を始めようとした際、「生誕日」がまだ不明なのには、戸惑わされた。「生誕日」に合わせて300年記念祭をやれないのだ。
しかし、終戦直後戦後とはいえ、生誕地が「毛馬町」だと「証明」されたことで、蕪村が大阪俳人であることが明らかになった。「生誕日」は不明ながらも、来年から初めて「生誕記念祭」を、生誕地大阪毛馬町でやれるのは、こんな歓喜なことはない。
こるから与謝蕪村生誕のことを追々。

先ず、生誕地が大阪毛馬町だと「証明」されたのは、なんと終戦直後だという事を教えて頂いたのは、筆者主宰のNPO法人近畿フォーラム21「蕪村顕彰俳句大学講座」で講師をお願いしている、蕪村研究第一人者の関西大学文学部の藤田真一教授だった。

結論から先にいうと、蕪村生誕地が大阪毛馬であることが「定説」になったのは、実は奈良県でこれに纏わる「蕪村直筆の書簡」が見つかったのが、キッカケだったというのである。

藤田教授の話は、次のようなことだった。

<蕪村は、自分の生誕地のことは、俳人・画人として活躍していた江戸・京都でも、何故か余り触れたがらず、主宰の「夜半亭」の弟子たちにも語ったという明確な「記録」は残されていないという。このため、蕪村の生誕地を確知していた者は、いなかったのではないかというのだ。

ところが蕪村は、安永六年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(二十頁ほど)の冒頭に、「春風馬堤曲」を書き、毛馬村側の淀川の馬堤に触れ、十八首の俳句を添えている。

しかし、残念なことにその舞台となる毛馬の淀川馬堤近くが自分の「生誕地」だとは、一切触れていない。想像してもこの書き方では、「生誕地を毛馬村」と結びつけることは出来ない。

だがその後、願ってもないことが起きた。

蕪村は、この「夜半楽」冊子を贈呈した大阪在住弟子の柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きの「書簡」の中で、自分の生誕地が毛馬村だと、下記のようにはっきりと綴っている。

春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふるさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどちと此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ」。

それなら、これを「物証」として、江戸時代から毛馬村が生誕地だと定説になっても良かった筈だが、そうならなかった。これには理由がある。

というのは、江戸時代の発刊諸本には複製本が多く、勝手に削除・加筆されることが多々あった。このため「夜半楽」の弟子への添え状ですら、複製なのか、それとも蕪村直筆のものか判定出来ず、結局「蕪村生誕地の複数説」を逆に加速させる結果を招き、生誕地説は宙に浮いたままの状態だった。

ところが、「蕪村直筆」だと、公式に「認定」される「書簡」が前記の如く、終戦直後偶然にも、奈良県で見つかったのだ。
これが歴史的実証となった。弟子の柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きの「蕪村直筆」が、「毛馬生誕地」と確定したものの、終戦直後の認定だから、本当に遅きに失したと言わざるを得ない。

これが「蕪村生誕地の複数説」を打消しし、「毛馬村を生誕地」とする歴史的且つ画期的「決め手」となったことになった。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述の淀川風景の描写や添付十八首と、柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きへの想いを結びつけて考えると、「毛馬村への切ない郷愁」を浮き彫りとなる。

これにより、生誕地が毛馬村であり、生誕の年も2016年(平成28年)であることが重複して不動のものになったことになる。この経過を考えると、蕪村生誕地を定めた一通の「蕪村直筆書簡」の存在は、実に大きかった。

これが「認定」されていなかったら、蕪村が大阪俳人として登場することも、無かったことになるだろう。>

ところで、終戦後に生誕地が「大阪毛馬町と証明」が確定したが、今ですら地元大阪でも、「与謝蕪村が大阪俳人」であることを知らない市民が多い。

次世代を担う児童生徒の教科書に取り上げられていないことを考えると、文部科学省の無配慮が指摘され、全国の児童生徒が大阪毛馬の生誕地のことを知らないことは、これが主因だ。残念で仕方がない。

更にはまだ、蕪村生誕日が分かっていないことも、文科省の研究が進んでいないことだ。学者に呼びかけて、探究を進めてほしい。

筆者主宰の「蕪村顕彰俳句大学講座」では、2016年(平成28年)の蕪村生誕三百年に、生誕日は不明でも、この年に「三百年記念諸行事」を開催し、俳句文化振興と後世への伝承、そして国際化への発信を大々的に進めたいと考えている。

余談ながら、藤田教授との懇談の中で、更に驚いたことがあったことを記して置きたい。

「蕪村は淀川を下って源八橋から船を降りて浪速の弟子のもとに往き来きしていたようですが、それほど郷愁があったのなら、極く近郊にあった毛馬村の生家に立ち寄るのが自然だと思うのです。その痕跡はありませんか」と尋ねた

答えは、「それを証明する歴史書類はありません。立ち寄ったか否かどうかも、わかりませんね」ということだった。

となれば、生誕地への郷愁は人一倍あったとしても、生誕地へ何らかの理由で寄りたくない気持ちがあったのだろうという推察が浮上する。

恐らく奉公人だった母と、庄屋・問屋の父が亡くなってから、家人たちによる私生児への極めつけの「いじめ」に合い、そのために十七・八歳で家を出奔、江戸に下ることを考えざるを得なかったのだろう。そのことが「生家には生涯立ち寄らなかったこと」に結びついているのではないだろうか。

最後にお願い。

どうか、蕪村生誕300年を迎える2016年・来年の春期から、私たち主催の「蕪村生誕三百年記念諸行事」開催を、まず大阪市立大学主導の「蕪村シンポジューム」開催を五月から始め、氏子蕪村が参拝した現「淀川神社」との諸行事、近郊の「蕪村商店街」と共同し、適切な時期を選んで「300年記念お祭り」も進めることにしている。

是非共、皆様のご賛同とご支援を、改めてお願い申し上げます。(了)


亮次郎師匠アドレス <ryochan@polka.plala.or.jp>


 
<第11期「蕪村顕彰全国俳句大会」講座始まる>
蕪村顕彰俳句大學 事務局
注目の第11期「蕪村顕彰全国俳句大会」4月講座が始まりました。
まず4月10日には大橋晄講師による句会講座から開講しました。
開講に先立ち、講師より第10期表彰の受賞句、佳作賞、講師推選賞が披露・賞状も手渡され、
受講生の皆さんから、歓声と温かい拍手を受けました。
続いて受講生出句作品の互選と、大橋講師による「選句」「寸評」が行われました。

つづいて、4月の17日には山尾玉藻講師による2回目の句会講座が開講しました。
同講座も同様に第10期の各表彰受賞句の披露と賞状が渡され、
受賞者の皆さんから祝福を受けました。
この日の山尾講座の兼題は「磯遊び」「潮干狩り」。
受講生出句作品の互選のあと、山尾講師が秀作や佳作の選句と寸評を行われました。
 
山尾講師から講座修了後、出句作品の「秀作作品の紹介と寸評」を頂きましたので、
下記に掲載致します。

<秀作寸評  山尾玉藻>

尻ぬれてよりぞんぶんに磯遊  蘭定かず子

最初は衣服が濡れないように気を付けて遊んでいたものの、
遂にズボンのお尻が濡れてしまった。
お尻も濡れてしまったことだし、とそれ以後は大胆に思いきり磯遊を楽しんだのである。
人の心理を巧みに捉えた楽しい句である。

風呑んで大渦潮となりにけり  大山文子

観潮船からの嘱目詠。
本来は渦巻く潮の勢いで風が生まれるのだが、
海風を呑みこんでいよいよ大きな渦潮となったとする逆転の発想が活きている。
ダイナミックな句である。

潮干狩の団体乗りく赤穂線  上原悦子

電車に乗り込んできた団体客は皆が軽装でそれらしき荷物を下げていて、
季節柄ひと目で潮干狩へ出かける人達だと解ったのだろう。
ローカルな「赤穂線」が良い。

有り難う御座いました。

ところで、3回目の講座は4月23日(木)に、
「鳰の子」俳句会主宰の柴田多鶴子講師による新講座が開講します。
既にご報告しておりますが、この講座は、
恒例の会場(学校法人追手門学院大阪城スクエアー6F)とは別の、
高槻市の高槻市立総合交流センター(高槻市紺屋町1番2号 電話:072-685-3721)で、
柴田多鶴子講師によって開講致します。

2会場に分けて開講することは、当講座が始まって以来初めての画期的なことです。
しかも柴田多鶴子講師による講座は、初回ですので、
地元の俳句愛好受講生から大いなる期待が寄せられています。

ところで、冒頭に書きましたが、この講座は、9月13日(日)午後1時から、
句会受講生は勿論、全国俳句愛好家から俳句作品の応募を行い、
全国最優秀句を選考する「表彰式」を行い、「賞状」を授与します。

詳しくは、下記の「お知らせ」を ご拝読下さい。

<第11期「蕪村顕彰全国俳句大会」講座始まる>NEW!
蕪村顕彰俳句大學 事務局
蕪村顕彰俳句大学は、兜カ學の森と共同して、
この4月1日から第11期講座「蕪村顕彰全国俳句大会」を開講します。

第11期蕪村顕彰全国俳句大会は、大阪で「全国からの優秀句」を「表彰」するものです。

◆応募作品について、8名の選考者によって「優秀句」をご選考して頂きます。
選考による「優秀句」については、兜カ學の森の月刊誌「俳句界」に「受賞作品と選者寸評」を掲載します。
また、3講師による「講師推薦賞」授与も行います。
同講師推薦賞該当句は、7月末までに事務局宛てにご送付願います。
以下、第11期講座「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式概要」を、記載します。
ご拝読してご応募をして頂きます様お願い致します。

「第11期蕪村顕彰全国俳句大会」の概要

(1)<作品応募期>平成27年 5月10日〜平成27年7月15日まで(締め切りをお守りください)。  
(2)<応募対象者:一般の部のみ> (当講座受講生・全国俳句愛好者)

<応募先>

株式会社 文學の森
東京都新宿区高田馬場2−1−2−8F  電話: 03−5292−9188

<作品の応募料>

1,000円 (2句;全国俳句愛好家応募のみ)<ただし、蕪村顕彰俳句大学受講生応募料は無料>

<表彰式日時>
平成27年9月13日(日) 13時開催

<式典会場>
大阪市立淀川小学校 多目的室
大阪市都島区友渕町3−5−29   電話:06−6921−0001

<プレート碑除幕式>
式典のあと、会場近郊の蕪村公園で「優秀句記念プレート碑」を建て、除幕式を開催。

なお、表彰式での「一般部」以外の「児童生徒の部の応募」、
「国際俳句蕪村賞の部」(諸外国の俳句愛好者の応募)表彰選考は、
三村純也大阪芸術大学教授(当大会選考委員長)に担当して頂きます。 

以上が、「第11期蕪村顕彰全国俳句大会」の概要です。

◆講座受講生のみなさまへ  
どうか、日頃から句会講座で研鑽されている受講生と今回初めて参加される高槻市受講生の方々は、
積極的に俳句作品を応募され、全国俳句愛好家と競って「全国一の優秀句賞」を受賞されます様、期待申し上げます。
 
「淀川神社」との共同事業進み出す (2015.1.26)
NPO法人近畿フォーラム21主催
蕪村顕彰俳句大学
蕪村生誕300年記念行事委員会
 朝日新聞が昨年12月30日の紙面に、NPO法人近畿フォーラム21と「淀川神社」が共同で進めている活動について、「淀川神社:「蕪村故郷で一句いかが・生誕300年へ新年から献句」という記事で、「大阪版」に掲載しました。(「ご報告欄」に既報)

 この記事を読んだ読者や、地元の俳句愛好者の人たちが、元旦から「淀川神社」を参拝し出して「絵馬献句」奉納新活動が進み出して、話題が大きく広がりだしました。「淀川神社」を「蕪村神社」として広めましょう!というキャッチフレーズも同様に広がり出したのです。

 新年1月も、1か月になろうとしているこれまでに、「淀川神社」には「絵馬に献句しよう」と、地元の人や、俳句講座を受講生、親に連れられて来た児童生徒らによって献句された「絵馬」は100枚余に達しています。

 「淀川神社」を「蕪村神社」として広めましょう!との目標を掲げて、蕪村顕彰と蕪村俳句を後世と全国・世界へ広めながら、大阪遺産の未来へ伝承していく活動は、少しづつ進展して行くのに喜びを感じています。

 そんな折、1月26日産經新聞の21面に、「蕪村の氏神に俳句奉納」。
〜淀川神社、生誕300年前に:(「俳句絵巻」写真掲載)〜 という記事が掲載されました。下記に掲載します。

 <大阪で生まれた江戸時代の俳人、与謝蕪村(1716〜83年)の氏神を祭る淀川神社(大阪市都島区)が、元旦から俳句絵巻の奉納を始めた。

 来年の生誕300年前を前に。地元では蕪村を顕彰する機運が高まっており、同神社は今後、蕪村にちなんだ句会も予定している。

 蕪村は摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)で誕生。その後、江戸や京都に移り住み、俳人、画家として活躍した。

 生誕地である毛馬村の氏神祭っていた神社は現在はないが、ご神体は合祀などを経て淀川神社に移されたという。

 絵馬は縦24.5a、横6a。表には蕪村の句「菜の花や 月は東に 日は西に」が書かれており、裏面に参拝者が自作の俳句と願い事を記す。

 俳句愛好家や家族連れが次々に献句しており、横路良宮司(40)は「蕪村も喜んで下さっていると思う。子供や若者が俳句に親しむきっかけになれば」と話している。>

 このように報道機関のご支援も頂き、蕪村顕彰と蕪村俳句を後世と全国・世界へ広めながら、大阪遺産の未来へ伝承していく活動を積極的に進めて行きたいと思っております。

 どうか、蕪村生誕300年記念行事をこれから頑張って始めます。皆様のご賛同を心からお待ちしております。

 
氏神様「淀川神社」と共同行事へ (2014.11.10)
NPO法人近畿フォーラム21主催
蕪村顕彰俳句大学 事務局
 画期的な事がまた、出来ました。蕪村生誕地近郊の氏神様「淀川神社」と、与謝蕪村顕彰の諸行事を、「共同」で進めることになったのです。

 「淀川神社」は、大阪市毛馬町にある「蕪村公園」のすぐ南側、城北通り道路を渡って、すぐにあります。

 どうして画期的なことなのか、これから追々。

 氏神様「淀川神社」は、元々「十五神社」と称して、平安朝初期または、それ以前に創立されています。同神社は、合祀を重ねながらもそのままの形で、当時から摂津の国東成郡友渕村字外島(現・友渕町337番地)に在りました。

 また、同じ旧東成郡の毛馬村には明治まで、同じ氏神様の「八幡神社」が在りました。つまり旧東成郡には、昔から2つの神社があったのです。

 ここからが重要なこと。

 江戸時代の俳人与謝蕪村は、享保元年(1716年−生誕日は不明)に、この摂津国東成郡の長閑な友渕村で生まれました。

 生家は、父は毛馬の庄屋で、問屋、宿屋も営む北国屋吉兵衛。母は丹後与謝から奉公人として来た「げん」でした。母「げん」は、器量と気立てが良くて、吉兵衛に気に入られ、2人の間に男の子(寅―後の蕪村)が誕生したのです。

 北国屋吉兵衛は、庄屋、問屋でしたから、国東成郡友渕村の農作業を先導して商売に精を出し、特に菜の花から採れる菜種油の生産と販売を幕府から奨励を受けて励んだため、多くの使用人を使って、裕福な暮らしをしていたと云われます。

 この北国屋吉兵衛の一家が、正月などに参拝したのが、勿論家の近くにある上記の2つの神社であったことは間違いないでしょう。蕪村も生誕して両親に抱かれてお参りしたでしょうし、両親を亡くし実家を出る苦衷から脱つしたい時の厄払いも、この2つの神社に参拝したことは想像に難くは在りません。

 18歳の時、江戸に出奔する時も、「安全祈願」のためにこれら2「神社」に行ったでしょう。つまり蕪村(寅)と「神社」の関係は、当時の江戸時代の風習から考えても、当然深い繋がりを持っていたものだったと思われます。

 ところが、前述のもうひとつの「八幡神社」は、明治43年に政府の方針に従って「桜宮神社」と合祀して姿を消し、神社跡は当時から民間地となっています。

 このため、蕪村生誕地近郊に現存する氏神様は、明治以来「淀川神社」のみとなっているのです。この由来を知る人が珠にあり、「淀川神社」を蕪村と繋ぐ唯一の神社だと広めたら如何と、宮司に囁きもあったようです。

 ここで、話が急転し出しました。

 2年前「淀川神社」宮司に就任された横路良さんが、その趣旨を生かしたいと決意され、地元淀川連合振興町会長の仲介で、蕪村顕彰と蕪村生誕300年祭行事を進めている私たちNPO法人に、ご意志の提案されたのです。

 数回詳細協議を重ねた結果、蕪村顕彰の行事を「共同」して推進していくことを急遽合意しました。これが画期的なことなことでした。

 合意したのは、大阪俳人与謝蕪村名と蕪村生誕地が毛馬町であることを、「淀川神社」を発信地として後世に継承することが相互の主意思であることで、一致したためでした。

 更には、市内は勿論、全国からの俳句愛好者や観光客を蕪村生誕地毛馬町へ訪ねて貰う顧客誘致に貢献しようということの意思も一致したからです。素晴らしいことでした。

 そこで手始めの合同行事として、幅6p縦24.5pの「淀川神社絵馬」を作製します。その絵馬表面に「蕪村の著名俳句と蕪村像」を載せます。

 肝腎なことは、同絵馬の裏に、蕪村顕彰俳句大学受講生や一般俳句愛好家、公私立児童生徒等が、自作の「俳句と祈りごと」を手書きすることです。その「絵馬」は、神社境内の「絵馬掛け」に1年間奉納することになります。

 この他の行事として、平成28年の「蕪村生誕300年祭」に向けて「神社のぼり」を作製し地元の毛馬町や友渕町に飾ります。また境内に「蕪村生誕祭の石碑」を建立することも考えています。

締め括りになりましたが、「淀川神社」内の催事部屋を使って、「句会講座」を開講することも、行事として地元の俳句愛好家の方にご協力頂くことも、すでに進めています。

 蕪村自身が参拝したことのある氏神様「淀川神社」と、「蕪村生誕三百年祭」に向けて、こうした蕪村顕彰諸行事を、私たちNPO法人とが「共同」で押し進めて行くということは、実に素晴らしいことです。

 いずれにしても、画期的で、予想外の喜ばしいことが、いよいよ始まります。皆様に「ご報告」致します。


 
与謝蕪村生誕地が改めて証明された (2014.10.6)
蕪村顕彰俳句大学
毛馬一三
 江戸時代の3大俳人・与謝蕪村の生誕地が、大阪市毛馬町であることが学説として定まったのは、何と終戦直後でした。それまで江戸時代から明治・大正・昭和20年頃に至るまで、蕪村生誕地は諸説が出回り、確定していなかったのですが、奈良県の学者によって毛馬町生誕地だと証明されたのです。(本誌に既載)。この学説が出されたのが遅かった所為か、「蕪村生誕地が大阪毛馬町」であることは、残念ながら地元大阪でも、全国にも広まっておりません。

 ところが、このほど改めて蕪村生誕地が毛馬町であることを証明する画期的な「証拠」が出現したのです。これには目を剥き、歓喜に覆われました。というのは先月末滋賀県で、これまで蕪村の幻の大作と云われる「蜀桟道図(しょくさんどうず)」が、蕪村自作絵画と、92年ぶりに確認されたのです。しかもこの蕪村が描いた絵の署名に、「蕪村生誕地」が大阪毛馬町であることが明記されたていたのです。蕪村自作絵画鑑定の署名ですから、間違いはありません。これは終戦後の「学説」が出て以来の、「蕪村生誕地」が改めて裏付けされる証左となりました。

 詳しくはこれから追々。まず前記のように、この「蜀桟道図」が、与謝蕪村が晩年に描き、所在が分からなくなっていた作品でしたが、滋賀県甲賀市の美術館が鑑定した結果、92年ぶりに所在と自作絵とが確認されたとして、公開されました。 「蜀桟道図」は蕪村が亡くなる5年前、1778年に描いた作品で、縦およそ1メートル70センチ、横1メートル近い大作。1800年ほど前の中国の風景が絹地に墨と淡い色彩で緻密に描かれ、蕪村が晩年、絵画を描く際に使った「謝寅(しゃいん)」という署名が残されています。まずこれが大切なことです。作品は、蕪村の愛好家として知られた実業家が1922年に出版した「蕪村画集」に収録されていましたが、その後、所在が分からなくなっていました。最近になってシンガポールの会社が所蔵しているという情報があり、滋賀県甲賀市の美術館が鑑定し、確認出来たというのです。

 与謝蕪村の研究を続けている関西大学文学部の藤田真一教授は、この蕪村絵を観て「作品の大きさに驚き、表情豊かな人物の描き方とともに蕪村の意気込みを感じた。蕪村にとって美術と文学が切り離せないということを改めて示した作品だ」と話しています。「蜀桟道図」は、来年3月に東京で公開されたあと、7月から甲賀市の「MIHOMUSEUM(ミホミュージアム)」で一般公開されます。<参考:NHKニュース>

 さらに詰めて行きますと、この蕪村自作絵の末尾に、「生誕地」が大阪毛馬町であると証明する「蕪村署名」が書かれていたのです。<読売新聞によりますと、この 「蜀桟道図」は、中国四川省北部に行くための険しい道「蜀桟道」を画題とし、縦167・5センチ、横98・9センチの絹地に墨と淡彩で山や空を描写。遠近感や奥行きを表現しながら、道を行く人々を軽やかなタッチで描いている。>と、書いています。

 ここからが、貴重な記述です。<この絵の画面右上に、「(とうせいしゃいん)東成謝寅」という署名を、自筆で書いています。実は「謝寅」は、蕪村が晩年に使った号で、生まれ故郷の摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)を意味する「東成」を冠したとみられるのです。>。ということは、蕪村が生誕地を証明する見事な「署名」と残したと云わざるを得ません。<しかも安永7年(1778年)、制作を依頼した俳人にあてて蕪村が、「『蜀桟道図』を完成させて送った」と書いた手紙の写しも残っており、亡くなる5年前のこの年の作品であることが分かる。>と、読売新聞は記しています。

 つまり、蕪村が晩年に使った「謝寅」の号に、生まれ故郷の摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)を意味する「東成」を冠したことが、自ら生誕地を「署名」で残したことになり、改めて「生誕地」が明らかになったのです。望郷の念が在りながら、「生誕地」を明らかにしたがらなかった蕪村にとっては、驚きです。死期の切迫を感じたため、敢て「署名」で告げたのでしょうか。蕪村生誕地が毛馬町であることが、自作の絵画と鑑定された「蜀桟道図」の「謝寅」の号の署名によって、改めて証明されたことは、終戦直後の定まった「蕪村生誕地」以来、遂に更なる「証」となったのです。このような滋賀県甲賀市美術館で鑑定は、実に素晴らしいことです。 

 とにかく上記の新証明は、筆者主宰のNPO法人と大阪市立大学と共同で立ち上げている「蕪村生誕300年行事実行委員会」の行事具体化躍進に貢献し、同時に「蕪村生誕地毛馬町名」を一層広げるでしょう。
 
滋賀県で与謝蕪村 晩年の作品 〜92年ぶり確認〜 (2014.10.1)
蕪村顕彰俳句大学
毛馬一三
 何と、蕪村の幻の大作と云われる「蜀桟道図」が、92年ぶりに滋賀県で先月末、確認されたのです。驚きと同時に歓喜の極みです。  まず<NHKに依りますと、俳人や画家として江戸時代に活躍した与謝蕪村が晩年に描き、所在が分からなくなっていた作品「蜀桟道図(しょくさんどうず)」が、92年ぶりに確認されたとして、9月24日、滋賀県甲賀市の美術館が報道関係者に公開しました。  「蜀桟道図」は蕪村が亡くなる5年前、1778年に描いた作品で、縦およそ1メートル70センチ、横1メートル近い大作です。1800年ほど前の中国の風景が絹地に墨と淡い色彩で緻密に描かれ、蕪村が晩年、絵画を描く際に使った「謝寅(しゃいん)」という署名が残されています。作品は蕪村の愛好家として知られた実業家が1922年に出版した「蕪村画集」に収録されていましたが、その後、所在が分からなくなっていました。最近になってシンガポールの会社が所蔵しているという情報があり、甲賀市の美術館が鑑定した結果、92年ぶりに所在が確認されたとして、24日、報道関係者に公開しました。与謝蕪村の研究を続けている関西大学文学部の藤田真一教授は、「作品の大きさに驚き、表情豊かな人物の描き方とともに蕪村の意気込みを感じた。蕪村にとって美術と文学が切り離せないということを改めて示した作品だ」と話しています。「蜀桟道図」は、来年3月に東京で公開されたあと、7月から甲賀市の「MIHOMUSEUM(ミホミュージアム)」で一般公開されます。>

 更に、<読売新聞によりますと、 「蜀桟道図」は、中国四川省北部に行くための険しい道「蜀桟道」を画題とし、縦167・5センチ、横98・9センチの絹地に墨と淡彩で山や空を描写。遠近感や奥行きを表現しながら、道を行く人々を軽やかなタッチで描いている。また、画面右上に書かれた「とうせいしゃいん東成謝寅」の署名は、蕪村が晩年に使った「謝寅」の号に、生まれ故郷の摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)を意味する「東成」を冠したとみられる。安永7年(1778年)、制作を依頼した俳人にあてて蕪村が「『蜀桟道図』を完成させて送った」と書いた手紙の写しが残っており、亡くなる5年前のこの年の作品であることが分かる。>
としています。

 NHK・読売新聞の記事の中に、<蕪村が晩年に使った「謝寅」の号に、生まれ故郷の摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)を意味する「東成」を冠したとみられる>と記述されたことは、意味が深いです。

 蕪村生誕地が毛馬町であることが、この「謝寅」の号の署名を自画に明記したことにより、更に証明されたことになるでしょう。

 いずれにしても、藤田教授のコメントの如く、「美術と文学が切り離せないということを改めて示した作品の発見」だとすることに、感動します。

 
「蕪村」のこころの言葉の新書 (2014.8.28)
NPO法人近畿フォーラム21
池尻 一寛
 与謝蕪村学者の藤田真一教授(関西大学文学部)が、「蕪村」〜日本人の心の言葉〜、を綴った新著を発刊されました。

 発行所は椛n元社で、8月中旬から書店で発売されています。(本体1200円+税)。

 著者の藤田教授には、これまで「俳人蕪村」に関する多くの著書・監修誌がありますが、大部分は「蕪村俳句・絵画」についての専門学説の論述が主です。ところが今回の新著は「蕪村の絶妙な言語感覚」や「俳句を作る時の環境やこころの動静」などが中心に書かれており、著書内容によって学説では接したことがない「未知の蕪村像」が浮かび上がってくるのです。誠に異色著書と云えます。

 そこで、この感動的な著書をご紹介したいと考え、著者が著書の冒頭に添えられた「はじめに」の欄を、下記に掲載させて頂きます。是非、藤田真一教授新著の「蕪村〜日本人のこころの言葉」の、拝読をお勧め致したいと存じます。
(一部中略させて頂くのは、お許し下さい。)

 <画家・俳人というと、描こう描きたい、吟じよう吟じたいという、作者本人の意欲というものが先行する気配があります。もちろん蕪村とて、みずからの意思や願望を抱いて制作にむかう気持ちはあり余るほどに有していたことでしょうが、それと併せて、依頼主や仲間の意向にも精いっぱいのこころを用いたはずです。

 自己実現と周囲との協調とがあいまってこそ、蕪村の制作舞台は整えることができたのです。

 蕪村は、一介の町絵師にすぎませんでした。むろんときには自発的に描きたいと思うこともあるでしょうが、それとて顧客の嗜好を無視することは出来ません。蕪村の絵筆は、贔屓し、支援してくれる人びとともにあったのです。

 俳諧となるとなおさら、仲間や門人といったまわりの人びと(連衆)が欠かせません。句会でも、吟行でも、句集の出版でも、孤高・独断おいうことはまず考えられません。

 蕪村も人並みに夜半亭という宗匠となりますが、蕪村にあっては、上に立って指導するというより、句作の上達をめざしてともに歩むという姿勢が強く感じられます。

 顧客の好みや視線を意識しながら、蕪村にしか描けない絵をかき、蕪村にしかよめない句をつくったのです。そしてそれらが今なお、多くのひとを引きつけてやまないのです。

 ジャンルをまたいで、散策することによって、蕪村の未知の魅力がさらに浮かび上がってくるにちがいありません。生誕三百年を目前に控えたまさに今、蕪村の神髄にいっそう迫る好機といってよいでしょう。

 ただし作品を遠目から観察しているだけではだめです。蕪村の懐にはいり込もうとする心構えが何よりたいせつです。

 その道を歩もうとするとき、手紙がかっこうの道しるべとなります。作品からは見えてこない蕪村の日常の姿を目にし、飾らない声を耳にすることができます。

 先年完結した「蕪村全集」全九巻(講談社版)には、四百五十通もの手紙が収録されています。仕事にかかわる記事がもっとも目につきますが、身近な日常茶飯の話題にも事欠きません。家庭生活はもとより、門人・友人との応答、洛中の種々の噂、畿内また地方のトピックなど、多岐多端にわたり、そこから当人の息づかいが感じられるのです。

 まさに蕪村の懐にはいる絶好の入り口となり、その時代のなかで蕪村の姿にまみえるにはうってつけつけです。本書では、これらさまざまなレベルの蕪村のことばに接することができるよう努めました。 >

 身近な日常茶飯の話題や多岐多端にわたって蕪村の息づかいが感じられるのが素晴らしい内容です

 これが、藤田真一教授著書の「はじめに」欄に記された著作の意向です。

 序でながら、こうした意向を盛り込まれたあとに、本論の記述の「目録」を期しておきましょう。

◆まず、「言葉編」となっており、
1. 遅咲きの偉才
2. 画俳ふた道の華
3. 交誼の輪
4. 時空の夢
が綴られています。

◆締め括りとして「生涯編」があり、
1. 略年譜
2. 蕪村の生涯
となっています。

 ところで、「生涯編」の「蕪村の生涯」の中に、非常に興味深い事実の綴りがありましたので、下記に紹介させて頂きます。

 <貴族でも武家もなく、担い手がまさに庶民である俳諧は、家柄や身分にこだわらないので、誕生から幼少期の記録が残っていないことが多いのです。蕪村ですらそうです。

 蕪村のばあいも、生い立ちにかかわる事象はほとんど謎に包まれています。蕪村はことさらに、みずからの意思で、あからさまにすることを控えていたふしがみられます。

 生前、他人に報じた唯一の資料は、伏見の柳女・賀隋母子に宛てた手紙に、「春風馬堤曲」に、(馬堤は毛馬塘也、則。余が故園也)という一節があるのみです。

 柳女の夫は、鶴英と号した俳人で、蕪村と活動をともにした人物です。没後、妻子が蕪村門に入ったのですが、そんな人でも蕪村の出身を知らなかったことになります。生家については、いっそう明かせない何かがあったようです。

 ただ、一番弟子」の几董はさすがに承知していたらしく、追悼文の初稿では、「浪速津の辺りちかき村長の家に生い出て」と書き、さらに病床にはふたりの姉が見舞いに来たとしるしてあります。

 そういえば後年、京都から何度も大阪におもむくことがあっても、ただの一度たりとも実家に立ち寄った形跡はありません。伏見から船で淀川をくだるとき、かならず目前を毛馬の村がよぎるにもかかわらず、です。先ほどの手紙には続けて「言葉編」冒頭に出したこの文章がきます。

  余、幼童之時、春色清和の日には、必共どちとこの堤上にのぼりて遊び候。
  水ニハ上下ノ船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ。

 還暦を過ぎての回想だけになつかしむ心情に満ちあふれています。けしてふるさとを嫌っていたわけではないのです。でも、どうしてだか帰省するに至っていないのです。この引き裂かれた気持ちが、絵にも俳諧にただよう。なつかしさの香りにつながるのかもしれません。>

 ところで、蕪村が俳諧、絵画に向かった時の「環境と心のあり様」は、新著をじっくり、読み感動したましが、筆者にはまだまだ「蕪村幼少期の謎」の想いが心を巡ります。 蕪村は、享保元年(1716)、大阪摂津の国東成郡毛馬村の庄屋の家に生まれました。蕪村の母は、京都丹後の与謝から「毛馬村長の家」へ「奉公人」として来ていました。ところが時が移ると、村長の妾となり、蕪村が生まれたのです。生誕日は不明。 こうした中、「春風馬堤曲」にあるように「幼少期」は、家系を継ぐ者としてか家族からも、もてはやされ楽しい時を過ごしていたことは間違いないと思われます。

 ところが、蕪村の人生を大きく変えることが起きました。蕪村が僅か13歳の頃、毛馬で母が亡くなり、村長も跡を追う様に間もなく逝去して仕舞う不幸が舞い込んできたのです。

 蕪村は、結局「妾の児」だったため、一転して村長家一族からからは「過酷な苛め」に遭わされたようになったようです。しかも父の死去に伴い毛馬の庄屋家業も、「極貧庄屋宅」に変容して仕舞い、蕪村に家系を継ぐ話など出る筈もなかったのでしょう。

 以来、生家「庄屋宅」で、蕪村は身を縮めて生きていかざるを得ない苦境に追い込まれていったというのです。これは室生犀星の状況と全く類似していると「学説」にも出ていると聞いています。

 つまり、この「幼少期の不幸」が、望郷の念は人一倍ありながらも、毛馬の生家へ一度も寄らなかったのは、「幼少期の極いじめの経過」が、「拒否の念」のころの底からの心境増幅に繋がり、帰郷を阻んだものに違いありません。

 藤田教授の新著「蕪村」は、学説とは少々異なり、教授の想いが随所に現れていて、本当に感動して読める書物になっています。

 こうした中で、筆者の前記の想いに繋げて心を浮き立たせ、ミステリー小説としてでも書こうかと思っています。

 最後に記述しておきたいのは、著作の背表紙に「生誕300年ー響いてやまぬ絶妙な言語感覚」書かれています。

 筆者らは、2016年に迫って来た「蕪村生誕300年記念行事」を大阪市立大学と兜カ學の森と共同して、俳句文化振興と後世への伝承のために実行いたします。

 どうか、芭蕉。一茶と並ぶ江戸時代の俳人「蕪村」をよく知ってもらい、生誕300年記念のためにも、この貴重な藤田真一教授の新著「蕪村」(創元社刊)に目を通して頂きたいと存じます。(了)

 
NHK"与謝蕪村特番"素晴らしかった! (2014.8.1)
蕪村顕彰俳句大学
                     蕪村生誕300年記念行事実行委員会
 NHKは、7月30日(水)夜10時から大阪俳人・「与謝蕪村の特別番組」を放映しました

 この特番は、「歴史秘話ヒストリア」で放映されたので、このようなNHKの超人気番組で取り上げられたのには、大きな驚きであり、喜びを覚えました。

 NHKは、<与謝蕪村は、俳句と絵画を極めた江戸のマルチ・アーティスト!「菜の花や月は東に日は西に」など名句風情の秘密とは?国宝「夜色桜台図」に秘められた感動の物語って?貧乏だけど自由なその人の人生を、愛して止まないイッセー尾形さんが演じます」とのキャッチフレーズを、放映事前に告知しました。

 <"のたりのたりと"いきましょう>と題する「俳句と絵画を極める」与謝蕪村の生き様の演技は、イッセー尾形さんがこのキャッチフレーズに応じ、蕪村の人生を十分理解した上で、見事に演じました。

 蕪村が、「俳句と絵画」に取り組みながら、貧乏と自由さの狭間の中で、実際に弟子たちと議論しながら俳句つくりに取り組む生き方を、なまなましく浮き彫りみせたのです。

 特番によると実は、蕪村は12才で母親を大阪・毛馬の生家で亡くしたため、毛馬を出奔し江戸に向かい、幸いにも俳人巴人と出会い俳句に取り組んだのです。しかし巴人は蕪村が27歳の時この世を去り、蕪村は東北を放浪しました。

 蕪村は、39才の時、母親の里・丹後の与謝に移り、絵画を志して励んだあと、京都に戻ったのです。ここからがイッセー尾形さんの演技がいきいきと蕪村の生き方を訴えたのに見応えがありました。これが特番の素晴らしい構成でした。

 ところでこの特番で驚いたことがありました。「菜の花や月は東に日は西に」という句がどうして生まれたのか。この句は、雄大な写生句だと感じていただけでした。

 ところが毛馬地域にとって「菜の花」は、大変な「生活の糧」だったのです。これは、この特番のゲストで出演した関西大学文学の蕪村学者・藤田真一教授が明らかにしました。

 「菜の花」からは、「菜種油」が採れ、「行燈の灯り」にすることが出来たのです。イッセー尾形さんが演じる夜中のシーンで、「菜の花」が「灯りの元」となり、句会や俳句作りに役立っていたのです。流石、「菜の花」は、掛替えのないない産物であり。浪速の誇りだったのですね。

 東京大学の佐藤康宏教授も、蕪村の魅力を解説され、参考になりました。

 特番では、蕪村老年結婚で生まれた「くの」が離縁して蕪村の家に還り、以後老いと病と闘う蕪村がにじみ出てきました。

 蕪村は、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明、68歳の生涯を閉じました。死因は従来、重症下痢症と診られていましたが、最近の調査で心筋梗塞であったとされています。特番に出てくる蕪村の墓のある「金福寺」に行って来ています。

 特番で、蕪村が大阪出身であること、とりわけ「蕪村という面白い・凄い人がいたのだ!」を伝えるのが特番の目的でした。

 NHK制作プロジューサーのコメントによると、「蕪村生誕300記念の露払いとして、蕪村の事を一般に知らしめることができればと思います」というご連絡を頂いたのには、感動しました。私たちの「蕪村生誕300年記念行事」の支援になるのは、確かだからです。

 とにかく「歴史秘話ヒストリア」で、蕪村のことが初めて放映されたこと自体、大いなる価値があります。

 「蕪村生誕300年記念行事」の実行を、この9月から、共催の「文學の森」と共同して開始して参ります。

 この素晴らしい「歴史秘話ヒストリア」特番で、7月30日に放映されたのを機会に、本格的に「記念行事を」進めて行きます。NHKでも「蕪村生誕300年記念」の2016年には、蕪村生誕大阪毛馬の生家での「蕪村の幼少の生き方」などを、再び「特番」にして頂きたいと祈念致します。

 どうか、俳句愛好家、大阪市民の方は、「蕪村生誕300年記念行事」の推進にご参加・ご助力頂きます様、お願い致します。



→NHK「歴史秘話ヒストリア」バックナンバー
 

「蕪村生誕300年記念行事実行委員会」の規約をご報告致します。 (2014.6.27)

NPO法人近畿フォーラム21主催
                  蕪村顕彰俳句大学
                  蕪村生誕300年記念行事実行委員会
蕪村生誕300年記念行事実行委員会規約
(名称)
第1条
本会は、蕪村生誕300年記念行事実行委員会(以下「委員会」という)と称する。
(目的)
第2条
委員会は、NPO法人近畿フォーラム21の活動組織の1つとして、「与謝蕪村生誕300年」の平成28年に「記念行事」の実施を図るもので、蕪村俳句の魅力と日本語文化の再評価、蕪村生誕地が大阪毛馬町で在ることの高揚を全国・世界に向けて発信し、且つ「国際俳句蕪村賞」を設けて諸外国とも連携することにより、大阪文化振興と後世伝承に資することを目的とする。
(事業)
第3条
委員会は、前条の目的を達成するため、次の行事を行う。
@蕪村生誕300年記念行事の企画及び運営に関すること。
Aその他前条の目的を達成するために必要な行事に関すること。
(組織)
第4条
委員会は別表に掲げる委員をもって組織する。
(役員)
第5条
委員会に委員長及び副委員長を置く。
2.委員長及び副委員長は委員の互選により選出する。
3.名誉顧問及び特別顧問は委員会推薦による指名する
(役員の職務)
第6条
委員長は、委員会を代表し、会務を総括する。
2.副委員長は、委員長を補佐し、委員長に事故あるとき等はその職務を代行する。
(役員の任期)
第7条
役員の任期は、委員会の解散の日までとする。 ただし、役職により選任された者で、その役職を離れたときは、辞職したものとみなす。
(会議)
第8条
委員会の会議(以下「会議」という。)は、必要に応じて委員長が召集し、委員長 がその議長となる。
2.会議は委員の過半数(委任状提出)の出席をもって成立し、出席委員の過半数をも って議決する。 なお、可否同数のときは、委員長が決する。
3.前項の場合には、第2項の規定の適用については、出席したものとみなす。
(各種会議の設置) 
第9条
行事の計画、運営のために必要なときは、専門職に該当するコンサルタント・名誉顧問・特別顧問に協力を求めこととし、外部関連組織も協力を得ることが出来ることとする。
2.前項の組織の構成および運営に必要な事項は、事務局が定める。
(事務局)
第10条
事業の遂行に必要な事務処理を行うため、大阪市都島区友渕町1丁目3−15−108 に事務局 を置く。
2.事務局長は、委員長が任命し、その命を受け、委員会の業務を総括的に処理する。
(会計年度)
第11条
委員会の会計年度は毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。
(経費)
第12条
委員会の文化振興事業遂行に要する経費は、賛助金・寄付・会費等の収入をもって、実質活動に要した適正費用の範囲内でこれに充てる。 報酬は支払わない。
(事業計画および収支予算・決算)
第13条
委員会の事業計画及びこれに伴う収支予算案は、会計年度開始前に担当委員が作成し、会議の議決を経るものとする。
((監事)
第14条

業務の適正な執行を確保するため、監事1名を置く。
2 .監事は、事業の執行状況及び会計監査を行う。

(解散)
第16条
委員会は第2条の目的を達成した後、会議の議決を経て解散する。
第17条
委員会が解散するときに有する剰余金及び損失金については、第13条 規定を重要する。
(雑則)
第18条
この規約に定めるもののほか、委員会の運営等に関し必要な事項は、近畿フォーラム21理事長と蕪村顕彰俳句大学学長、委員長が協議して定める。
(附則)
この規約は、平成 23年4月1日から施行する。
 
告知ご報告 (2014.7.9)
このWebに、「575で遊ぼう」という、特別養護老人ホームでの画期的な 講座の開講運営を「特別欄」を設けました。 ぜひご覧ください。

→詳細はこちら


<お問い合わせ先> NPO法人近畿フォーラム21 事務局 電話/FAX (06)6928−9773
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